・・・勝軍地蔵はいつでも武運を守り、福徳を授けて下さるという信仰の対的である。明智光秀も信長を殺す前には愛宕へ詣って、そして「時は今天が下知る五月かな」というを発句に連歌を奉っている位だ。飯綱山も愛宕山に負けはしない。武田信玄は飯綱山に祈願をさせ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・という人間の明智に対する信念によって――ジイドは、また、彼の論敵ら「秩序の愛と暴君の趣味とを混同する」徒輩が、この紀行文から手前勝手な利益を引っぱり出すであろうことをも、はっきりと予見している。しかも彼が敢てこの紀行文を公表するのは、上述の・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ 降って十八世紀の西欧に於ける人文主義も封建の封鎖に対して人間性の明智と合理とを主張した広義のヒューマニズムの動きであった。引続く世紀に例えばトルストイによって表現されているヒューマニズムは、日本の『白樺』の精神にも流れ入って来た。言っ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・戦国時代の婦人達の愛情とか人間性というものがどんなにふみにじられたかということは細川忠興の妻ガラシアの悲壮な生涯の終りを見てもわかる。明智光秀の三女であったおたまの方はキリスト教を信仰してガラシアという洗礼名をもっていた。石田三成が大阪城に・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ 武田の滅びた天正十年ほど、徳川家の運命の秤が乱高下した年はあるまい。明智光秀が不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉が毛利家と和睦して弔合戦に取って返す。旅中の家康は茶屋四郎次郎の金と本多平八郎の鑓との力をかりて、わずかに免れて岡崎へ帰・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫