・・・その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・第一に女は男狩りのほかにも、仕栄えのある仕事が出来ますから。第二に女の世の中は今の男の世の中ほど、女に甘いはずはありませんから。 小野の小町 あなたはそんなにわたしたちを憎いと思っているのですか? 玉造の小町 お憎みなさい。お憎みな・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・魴ほうぼうの鰭は虹を刻み、飯鮹の紫は五つばかり、断れた雲のようにふらふらする……こち、めばる、青、鼠、樺色のその小魚の色に照映えて、黄なる蕈は美しかった。 山国に育ったから、学問の上の知識はないが……蕈の名の十やら十五は知っている。が、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・一輪の桔梗の紫の影に映えて、女はうるおえる玉のようであった。 その手が糸を曳いて、針をあやつったのである。 縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出した。挨拶は済ましたが、咄嗟のその早さに、でっぷり漢と・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・と云う息の段々弱って沢の所にたおれたのを押えて止をさし死がいを浮藁の下にしずめそうっと家にかえったけれ共世間にはこんな事を知って居る人は一人もなくその後は家は栄えて沢山の牛も一人で持ち田畠も求めそれ綿の花盛、そら米の秋と思うがままの月日を重・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られている。然るに喜兵衛が野口家の後見となって身分が定ってから、故郷の三ヶ谷に残した子の十一歳となったを幸手・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨は恐らく最後のシャレの吐き栄えをしたのを満足して、眼と唇辺に会心の“Sneer”を泛べて苔下にニヤリと脂下ったろう。「死んでまでも『今なるぞ』節の英雄と同列したるは歌曲を生命とする緑雨一代の面目に候」とでも冥土から端書が来る処だった。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
曠野と湿潤なき地とは楽しみ、沙漠は歓びて番紅のごとくに咲かん、盛に咲きて歓ばん、喜びかつ歌わん、レバノンの栄えはこれに与えられん、カルメルとシャロンの美しきとはこれに授けられん、彼らはエホバの栄を見ん、我・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・しかし、生き物を、こんなに、ぞんざいにするようでは、なに商売だって、栄えないのも無理はない。」と、こんなことを考えたのであります。 家に帰るとさっそく、木に水をやりました。また、わずかばかり残っていた、葉についているほこりを洗ってやりま・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・ 朝の陽が蒼黝い女の皮膚に映えて、鼻の両脇の脂肪を温めていた。 ちらとそれを見た途端、なぜだか私はむしろ女があわれに思えた。かりに女が不幸だとしても、それはいわゆる男の教養だけの問題ではあるまいと思った。「何べん解消しようと思っ・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫