・・・「こちらの椅子をさし上げましょうか?」「いえ、これで結構です。」 僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子にかけることにしました。「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」「いいえ、……何かあったのですか?」「あの気の違っ・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・夫人 昨晩、同じ宿へ着きますと、直ぐ、宿の人に――私は島津先生の――あの私は……(口籠る。小間お写真や、展覧会で、蔭ながらよく貴方を存じております。――「私は島津の家内ですが」と宿の人に――「実は見付からないようにおなじ汽車で、あとをつ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 十九 小宮山は早速嗽手水を致して心持もさっぱりしましたが、右左から亭主、女共が問い懸けまする昨晩の様子は、いや、ただお雪がちょいと魘されたばかりだと言って、仔細は明しませんでございました、これは後の事を慮って、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・正雄さんは、昨日の晩、お父さんや、お母さんにしかられたことを思い出して、「君、僕は昨晩、これをもらっていったので、たいへんに、お父さんやお母さんにしかられてしまった。もう欲しくないから、昨日、もらったのをも返すよ。」と返したのであります・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・付いて、この積んであった本が或は自分の眼に、女の姿と見えたのではないかと多少解決がついたので、格別にそれを気にも留めず、翌晩は寝る時に、本は一切片附けて枕許には何も置かずに床に入った、ところが、やがて昨晩と、殆んど同じくらいな刻限になると、・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くように・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・私は昨晩から笹川のいわゆるしっぺ返しという苦い味で満腹して、ほとんど堪えがたい気持であった。「しかし笹川もこうしたしっぺ返しというもので、それがどんな無能な人間であったとしても、そのために亡びるだろうというような考え方は、僕は笹川のために取・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・一つには私たちの同人雑誌『春服』が、目茶苦茶になりかかった、わびしさから、二つには、ぼく自身のステールネスから、最後に、あなたがぼく如きものに好意をお持ち下され居る由、昨晩の松村と云う『春服』同人の手紙が伝えてくれたので、加うるに性来の図々・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・運わるく彼の挨拶がむこうの不注意からそのひとに通じなかったときや、彼が昨晩ほね折って貼りつけたばかりの電柱のビラが無慙にも剥ぎとられているのを発見するときには、ことさらに仰山なしかめつらをするのであった。やがて彼は、そのまちでいちばん大きい・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見まし・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫