・・・私は是非とも、新に二度目の飼犬を置くように主張したが、父は犬を置くと、さかりの時分、他処の犬までが来て生垣を破り、庭を荒すからとて、其れなり、家中には犬一匹も置かぬ事となった。尤も私は、その以前から、台所前の井戸端に、ささやかな養所が出来て・・・ 永井荷風 「狐」
・・・日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。 松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・左れば我輩は女大学を見て女子教訓の弓矢鎗剣論と認め、今日に於て毫も重きを置かずと雖も、論旨の是非は擱き、記者が女子を教うるの必要を説く其熱心に至りては唯感服の外なし。依て今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し、之を新女大学と題して地下に記者・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
人物の善悪を定めんには我に極美なかるべからず。小説の是非を評せんには我に定義なかる可らず。されば今書生気質の批評をせんにも予め主人の小説本義を御風聴して置かねばならず。本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・火を付けたのは、しようかせまいかと考えてしたのではなく、恋のためには是非ともしなくてはならぬ事をしたものを、なぜにその事についてお七が善いの悪いのというて考えて見ようか。もしそれを考えるほどなら恋は初から成り立って居なかったのだ。あるいは、・・・ 正岡子規 「恋」
・・・ 平和が齎されたとき、一つの文化的な記念として戦線から兵士たちが家郷に送った家信集が、是非収録出版されるべきである。今日、所謂高級ではない雑誌に時々のせられているそれらの手紙は、実に読者をうつものをもっている。これらの飾らず、たくまざる・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・その相続人たる権兵衛でみれば、死を賜うことは是非がない。武士らしく切腹仰せつけられれば異存はない。それに何事ぞ、奸盗かなんぞのように、白昼に縛首にせられた。この様子で推すれば、一族のものも安穏には差しおかれまい。たとい別に御沙汰がないにして・・・ 森鴎外 「阿部一族」
優れた作品を書く方法の一つとして、一日に一度は是非自分がその日のうちに死ぬと思うこと、とジッドはいったということであるが、一日に一度ではなくとも、三日に一度は私たちでもそのように思う癖がある。殊に子供を持つようになってからはなおさらそ・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ですが僕はこんなに気楽には見えてもあのように終りまで心にかけて、僕のようなものの行末を案じて下すった奥さまに対して、是非清い勇ましい人物にならなくッてはならないと、始終考えているんです。・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫