・・・ ある人の考に、日本の文字を用うれば、人の姓名を記し事柄を書くには、もとより便利なれども、数字にいたっては、二五八三と記して二千五百八十三と解すは、これまた人民社会に不通用のことなりとの説もあれども、ひっきょう、縦の文字を縦に用うること・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。 凡そ形あれば茲に意あ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・この男の物を書く態度はいかにも規則正しく、短い間を置いてはまた書く。その間には人指し指を器械的に脣の辺まで挙げてまた卸す。しかし目は始終紙を見詰めている。 この男がどんな人物だと云うことは、一目見れば知れる。態度はいかにも威厳があって、・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・○僕は子供の時から手先が不器用であったから、画は好きでありながらそれを画く事は出来なかった。普通に子供の画く大将絵も画けなかった。この頃になって彩色の妙味を悟ったので、彩色絵を画いて見たい、と戯れにいったら、不折君が早速絵具を持って・・・ 正岡子規 「画」
・・・その式の盛大なこと酒もりの立派なこととても書くのも大へんです。 とにかく式がすんで、向うの方はみな引きあげて行きました。そのとき丁度雲のみねが一番かがやいて居りました。「さあ新婚旅行だ。」とベン蛙がいいました。「僕たちはじきそこ・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ 十二年をへだて、今日著者がたまに書く文学評論は、主題と表現の問題にしろよりリアルにとらえられていて、人民的な民主主義社会とその文学の達成のために、堅ろうな階級的骨組みとくさびとを与えている。 著者自身が一九二九年に「過渡期」として・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与っている雑誌の作品にも情調がないと云うのは、木村に文芸が分からないと云うのである。文芸の分からないものに、なんで脚本を選ばせるのだろう。情調のない脚本が当選したら、どうするだろう。そんな事を・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・未来は鵜の描く猛猛しい緊張の態勢にあって、やがて口から吐き流れる無数の鮎の銀線が火に映る。私は翌日鵜匠から鵜をあやつった綱を貰ったが、火にもやけぬこの綱は、逆に捻じればぽろりと切れた。この微妙な考案力はどこから来たのかいまだに私は不思議であ・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・「余計な事を聞くようだが、わたしは小説を書くものだからね。」 この時相手は初めて顔を上げた。「小説家でおいでなさるのですか。デネマルクの詩人は多くこの土地へ見えますよ。」「小説なんと云うものを読むかね。」 エルリングは頭を振った・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・彼らが小さい一冊の本を書くためにも、その心血を絞り永年の刻苦と奮闘とを通り抜けなければならなかった事を思えば、私たちが生ぬるい心で少しも早く何事かを仕上げようなどと考えるのは、あまりにのんきで薄ッぺらすぎます。七 私は才能乏・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫