・・・毎朝、小さい鍵で、箱の蓋を開けるとき、自分は必ず丸い大様な書体で紙面を滑って居る母の手跡を期待して居る。 自分が其那に待ちながら、同じように待って居るに異いない母へ、屡々音信をしないのは、気の毒だと思わずには居られない。 今日も、先・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・という号をつかい、隷書のような書体でサインして居る。 書簡註。父は当時三十七歳。旧藩主上杉伯の伴侶としてイギリスに旅立った。留守宅の収入は文部省官吏とし月給半額。妻と三子あり。高等学校の学生であった頃から父の洋行したい・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・小判の白い平凡な書簡箋に見馴れた父の万年筆の筆蹟で、ところどころ消したり、不規則に書体を変えたり、文句を訂正したりしながら二十行の詩が書かれているのであった。 六十九歳の父が最後のおくりもの、或は訴えとして娘の私にのこしたその詩の題は ・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫