・・・「ほんとうに有りがたい神様だ」と、いう評判は世間に立ちました。それで、急にこの山が名高くなりました。 神様の評判はこのように高くなりましたけれど、誰も、蝋燭に一心を籠めて絵を描いている娘のことを思う者はなかったのです。従ってその娘を・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
いかなる主義と雖も現実から出発していないものはない。現実を有りのまゝの静止したもの、固定したものと見做すのが間違っている。現実はどうともすることの出来ない客観的の実在であると同時に、また極めて主観的な実在である。我々が懐く凡ゆる感情、・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・と言われる位で有りました。二十日ばかり心臓を冷やしている間、仕方が無い程気分の悪い日と、また少し気分のよい日もあって、それが次第に楽になり、もう冷やす必要も無いと言うまでになりました。そして、時には手紙の三四通も書く事があり、又肩の凝らぬ読・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「イヤ実地行ったのサ、まア待ち給え、追い追い其処へ行くから……、その内にだんだんと田園が出来て来る、重に馬鈴薯を作る、馬鈴薯さえ有りゃア喰うに困らん……」「ソラ馬鈴薯が出た!」と松木は又た口を入れた。「其処で田園の中央に家がある・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・敷島の日本の国に人二人在りとし思はば何か嘆かむ したがってその人のためにも、自分のためにも、それを傷む心の持って行き場がないからである。どうしても彼のために祈り、自分の傷を癒やしてくれる人間以上のものを求めたくなる。人間の愛・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・どうも有りがとうさん。」と、おきのは頭を下げた。彼女は若旦那に顔を見られるのが妙に苦るしかった。 翌日の午後、従弟から葉書が来た。県立中学に多分合格しているだろうが、若し駄目だったら、私立中学の入学試験を受けるために、成績が分るまで子供・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 左様いう塾に就いて教を乞うのは、誰か紹介者が有ればそれで宜しいので、其の頃でも英学や数学の方の私塾はやや営業的で、規則書が有り、月謝束修の制度も整然と立って居たのですが、漢学の方などはまだ古風なもので、塾規が無いのではありませんが至っ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 否な、私は初めより其を望まないのである、私は長寿必しも幸福ではなく、幸福は唯だ自己の満足を以て生死するに在りと信じて居た、若し、又人生に社会的価値とも名づくべきもの之れ有りとせば、其は長寿に在るのではなくて、其人格と事業とが四囲及び後・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・内儀「そんな事を云っていらしっては困ります、何処へでも忠実にお歩きあそばせば、御贔屓のお方もいかいこと有りまして来い/\と仰しゃるのにお出でにもならず、実に困ります、殊に日外中度々お手紙をよこして下すった番町の石川様にもお気の毒様で、食・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・私があれに干瓢を剥かして見たことが有りましたわい。あれも剥きたいと言いますで。青い夕顔に、真魚板に、庖丁と、こうあれに渡したと思わっせれ。ところが、あなた、あれはもう口をフウフウ言わせて、薄く切って見たり、厚く切って見たり。この夕顔はおよそ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫