・・・いずれも四十二を中心とする厄年の範囲に含まれ得べき有為な年齢に病のために倒れてしまった。 生死ということが単に銅貨を投げて裏が出るか表が出るかというような簡単なことであれば、三遍続けて裏が出るのも、三遍つづいて表が出るのも、少しも不思議・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・まして彼らは有為の志士である。自由平等の新天新地を夢み、身を献げて人類のために尽さんとする志士である。その行為はたとえ狂に近いとも、その志は憐むべきではないか。彼らはもと社会主義者であった。富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・現に今日世上に名ある有為の紳士賢婦人など言う輩にして、母の手に育てられたる者は少なからざる可し。賢婦家を興し愚婦家を亡ぼす。一家の盛衰に婦人の力を及ぼす其勢力の洪大なるは、之を男子に比較して秋毫の差なし。而して其家を興すは即ち婦人の智徳にし・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・啻に白頭の故老のみならず、青年以上有為の士人中にも、一切万事有形も無形も文明主義の一以て之を貫くと敢て公言して又実際に之を実行しながら、独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して、自から婬猥不倫の罪を免れんとする者あるこそ可笑しけれ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・もとより農民の婦女子、貧家の女子中、稀に有為の俊才を生じ、偶然にも大に社会を益したることなきにあらざれども、こは千百人中の一にして、はなはだ稀有のことなれば、この稀有の僥倖を目的として他の千百人の後世を誤る、狂気の沙汰に非ずして何ぞや。・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
出典:青空文庫