・・・同級の生徒の中に西勃平というのと細川順太郎というのと私と、先ず此三人が年も同じ十一二歳で、気が合った朋友であった。この西勃平というのは、ああ今でも顔を能く覚えて居る。肥った饅頭面の、眼の小さい、随分おもしろい盛んな湾泊者で、相撲を取って負か・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・死刑に処せられるほどの極悪・重罪の人となることは、家門のけがれ、末代の恥辱、親戚・朋友のつらよごしとして、忌みきらわれるのであろう。すなわち、その恥ずべく、忌むべく、恐るべきは、刑で死ぬということにあるのではなくて、死者その人の極悪の性質、・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・く恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・これを朋友子弟に頒つ。主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶるにあり。文辞活動。比喩艶絶。これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに、凜乎として秋霜のごとし。ここにおいて、余初めて君また文壇の人たるを知・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友は相信ぜず、お役所に勤めても、ただも・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・然りと雖も相互に於ける身分の貴賤、貧富の隔壁を超越仕り真に朋友としての交誼を親密ならしめ、しかも起居の礼を失わず談話の節を紊さず、質素を旨とし驕奢を排し、飲食もまた度に適して主客共に清雅の和楽を尽すものは、じつに茶道に如くはなかるべしと被存・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・毛皮市場や祭礼の群衆の中にわれわれの親兄弟や朋友のと同じ血が流れている事を感じさせられ、われわれの遠い祖先と大陸との交渉についての大きな疑問を投げかけられるのであった。最後のクライマックスとして、荒野を吹きまくる砂風に乗じていわゆる「アジア・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 私が先月十五日の夜晩餐の招待を受けた時、先生に国へ帰っても朋友がありますかと尋ねたら、先生は南極と北極とは別だが、ほかのところならどこへ行っても朋友はいると答えた。これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・生徒の父兄朋友といえどもこの権利をいかんともする事はできん。学業の成蹟は一に教師の判断に任せて、不平をさしはさまざるのみならず、かえってこれによって彼らの優劣を定めんとしつつある。一般の世間が評家に望むところは正にこれにほかならぬ。 た・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・池辺君が胸部に末期の苦痛を感じて膏汗を流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友として、朋友にあるまじき無頓着な心持を抱いていたと云う点において、いかにも残念な気がする。余が修善寺で生死・・・ 夏目漱石 「三山居士」
出典:青空文庫