・・・ この日の大火は、物見の松と差向う、市の高台の野にあった、本願寺末寺の巨刹の本堂床下から炎を上げた怪し火で、ただ三時が間に市の約全部を焼払った。 烟は風よりも疾く、火は鳥よりも迅く飛んだ。 人畜の死傷少からず。 火事の最中、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽で破門したり僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたものがないとは、何という情ないことか。幸徳らの死に関しては、我々五千万人斉しくその責を負わねばならぬ。しかしもっとも・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・伝通院地内の末寺へ盗棒が放火をした。水戸様時分に繁昌した富坂上の何とか云う料理屋が、いよいよ身代限りをした。こんな事をば、出入の按摩の久斎だの、魚屋の吉だの、鳶の清五郎だのが、台所へ来ては交る交る話をして行ったが、然し、私には殆ど何等の感想・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫