・・・卯の花のたえ間をここに音信るるものは、江戸座、雪中庵の社中か、抱一上人の三代目、少くとも蔵前の成美の末葉ででもあろうと思うと、違う。……田畝に狐火が灯れた時分である。太郎稲荷の眷属が悪戯をするのが、毎晩のようで、暗い垣から「伊作、伊作」「お・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・白菊黄菊、大輪の中に、桔梗がまじって、女郎花のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉も落ちず露がしたたる。 時に、腹帯は紅であった。 渠が詣でた時、蝋燭が二挺灯って、その腹帯台の傍に、老女が一人、若い円髷のと睦じそうに拝んでい・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・たとえば我が日本にて古来、足利の末葉、戦国の世にいたるまで、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したり・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・とでも呼んだであろうし、明治末葉から大正にかけての作家連であったらば、十円をつかって遊びながらも文化人、芸術家としてこの人生の発展のために彼等の負うている責任の重く遠いことの自覚を加えて、重遠会とでも名をつけたかもしれない。現代の少壮と目さ・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・全体的に見て、今日の新聞そのものの性質が、明治初年の天下の公器としての自由性を失われているのであるから、現象的にニュースの断片を注ぎ込まれ、物価騰貴とその末葉のやりくりを知らされても、事象の本源までは新聞では迚も分らなくなって来ている。・・・ 宮本百合子 「女性の教養と新聞」
・・・明治末葉の、漠然婦人運動者と呼ばれている人々であった。 黒い紋羽二重の被布に、同じような頭巾をかぶったはつ子は、小さい眼を輝やかせて自分の恋愛談をした。「私のその青年との恋愛は、清田によって満されなかった美の感情がその人に向って迸っ・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・がこの初期のガンダーラの美術は、三世紀の中ごろクシャーナ王朝の滅亡とともにいったん中絶し、一世紀余を経て、四世紀の末葉にキダーラの率いるクシャーナ族がガンダーラ地方に勢力を得るに及んで、今度は塑像を主とする美術として再興し、初期よりずっと優・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫