・・・シロオテは降りしきる雪の中で、悦びに堪えぬ貌をして、私が六年さきにヤアパンニアに使するよう本師より言いつけられ、承って万里の風浪をしのぎ来て、ついに国都へついた、しかるに、きょうしも本国にあっては新年の初めの日として、人、皆、相賀するのであ・・・ 太宰治 「地球図」
・・・しかしまだ物心もつかないうちに本国に帰ってしまったので、日本の記憶と云っては夢ほどにも残っていないが、ただ生れた土地と聞くだけで日本の国土に対するゼエンズフトを懐いている。そしていつか一度日本人というものに会ってみたいと云っていた。それを知・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・同教授にはかつてその本国で会ったことがあるばかりでなく、その実験室で北光に関する有名な真空放電の実験を見せてもらったり、その上に私邸に呼ばれてお茶のごちそうになったりしたことがあったので、すぐに昔の顔を再認することができたが、教授のほうでは・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・すると、その仕事の本国における価値が急に高まるのである。ちょうど反古同様の浮世絵が、一枚何千円にもなると同様である。それと反対に、もし外国の雑誌にでも、ちょっとした、いい加減な悪口でも出ると、それがあたかも非常な国辱ででもあるように感ぜらる・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・また日本の浮世絵芸術が外国人に発見されて後に本国でも認められるようになった話ともやはり似ていて、はなはだ心細い次第である。 それはとにかくモンタージュ芸術技法は使用するメディアムが何であっても可能である。たとえば食物でも巧みに取り合わせ・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・此の時に当って、曾て夜々紐育に巴里にまた里昂の劇場に聞き馴れた音楽を、偶然二十年の後、本国の都に聴く。わたくしは無量の感慨に打たれざるを得ない。 顧るにオペラの始て帝国劇場に演奏せられたのは大正八年の秋九月であった。わたくしは其の時まで・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、 乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・それでとても外国では私の事業を仕上る訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。 とこ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・学問をするには、まず学流の得失よりも、我が本国の利害を考えざるべからず。 方今、我が国に外国の交易始り、外国人の内、あるいは不正の輩ありて、我が国を貧にし我が国民を愚にし、自己の利を営んとする者多し。されば今、我が日本人の皇学・漢学など・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
出典:青空文庫