・・・しかし考えるとそう真似ばかりしておらないで、自分から本式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期はもう来ても宜しい。また来るべきはずである。 日露戦争というものは甚だオリヂナルなものであります。インデペンデントなものであります・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・一段下りて、本式の学問執行は手に及ばぬことなれども、月に一、二十銭の月謝を出すか、または無月謝なれば、子供の教育を頼むという者、また幾十万の数あるべし。 それより以下幾百万の貧民は、たとい無月謝にても、あるいはまた学校より少々ずつの筆紙・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・それがいかにも本式なのです。私たちは、はじめはこれはよほど費用をかけて大陸から頼んで来たんだなと思いましたが、あとで聞きましたら、あの有名なスナイダーが私たちの仲間だったんです。スナイダーは、自分のバンド(尤を、そっくりつれてやはり一昨日、・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 私のベッドというと人聞きがよいけれど実は、そのベッドには本式のマトレスはまだついていないのです。普通の敷布団がのっかっているの。この次の小説でマトレスは出来るだろうという次第です。 ドーデエの小さいものが面白かったそうで私はそのお・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・工場新聞は大抵印刷で大版四頁、六頁という本式のものだ。工場新聞では『プラウダ』をはじめ、労働組合の機関新聞などがソヴェト同盟全体の建設問題としてとりあつかう政治、経済、文化すべての問題を、自分らの工場ではそれがどんな風に扱われているか、実際・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・ それからいよいよ本式に化学と国語を見た。国語の柴田鳩翁の「道話一則」をよみ次の次の松下禅尼までよんでみた。「東遊記」のは今度図書館に行った時によんで見ようと思った、兼好法師のがあったんで「徒然草」がよみたくなってしまった。本箱から引ず・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・一九四五年一月三十日東京に本式の空襲がはじまった。それから〔五〕月まで私の住んでいた本郷区の各所が連続的に破壊され、〔四〕月には巣鴨拘置所だけを残して周辺が焼野原となった。その空襲の翌朝、同居していた人に頼んで拘置所を見・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 外国旅行をしたときに着はじめ、後は只身軽さということだけで着て居りました。 其麼工合故、礼装がなくて、儀式のときは和服をきました。 本式に着なければならないとすると洋装の方が金がかかると思います。第一、本物の羊毛布さえな・・・ 宮本百合子 「洋服と和服」
出典:青空文庫