・・・どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。 次つぎ止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることができなかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。 石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止った。それはなにかが止めてくれたという感じであった。全・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・ 自分はそっとこの革包を私宅の横に積である材木の間に、しかも巧に隠匿して、紙幣の一束を懐中して素知らぬ顔をして宅に入った。 自分の足音を聞いただけで妻は飛起きて迎えた。助を寝かし着けてそのまま横になって自分の帰宅を待ちあぐんでいたの・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・巌といえば日光の華厳の滝のかかれる巌、白石川の上なる材木巌、帚川のほとりの天狗巌など、いずれ趣致なきはなけれど、ここのはそれらとは状異りて、巌という巌にはあるが習いなる劈痕皺裂の殆どなくして、光るというにはあらざれど底におのずから潤を含みた・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
ライン河から岸へ打ち上げられた材木がある。片端は陸に上がっていて、片端は河水に漬かっている。その上に鴉が一羽止まっている。年寄って小さくなった鴉である。黒い羽を体へぴったり付けて、嘴の尖った頭を下へ向けて、動かずに何か物思に沈んだよう・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・病犬は、そこにころがっている古材木の下にこごまって、苦しそうに腹でいきをしていました。 肉屋は、あくる日、大きなあきだるをもって来て、わらをどっさり入れて、小屋がわりにおいてやりました。そのあくる日は、どうしたものか、じょうぶな方の犬も・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・家財道具を、あちこちの友人に少しずつ分けて預かってもらい、身のまわりの物だけを持って、日本橋・八丁堀の材木屋の二階、八畳間に移った。私は北海道生まれ、落合一雄という男になった。流石に心細かった。所持のお金を大事にした。どうにかなろうという無・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・軒端の材木から、熱のためにガスが噴き出て、それに一先ず点火されるのであろう。また、ちょろちょろと、青白い焔が軒端を伝って伸びて、と思うと、ちちと縮まり焔の列が短かくなり、また、ちょろちょろと伸びる。行きつ、戻りつ、それを、五、六度、繰りかえ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・水源の濁り水は大渦小渦を巻きながらそろそろふくれあがって六本の支流を合せてたちまち太り、身を躍らせて山を韋駄天ばしりに駈け下りみちみち何百本もの材木をかっさらい川岸の樫や樅や白楊の大木を根こそぎ抜き取り押し流し、麓の淵で澱んで澱んでそれから・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・これもやはりほんの一時的の建築だろうが、使っている材木を見るとなかなか五十年や百年で大きくなったとは思われないような立派なものがある。なんだか少し勿体ないような気がする。こんなものを使わなくても、何か鋸屑でも固めたようなもので建築材料を作っ・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
出典:青空文庫