・・・夜は十二時一時と次第に深けわたる中に、妻のお光を始め、父の新五郎に弟夫婦、ほかに親内の者二人と雇い婆と、合わせて七人ズラリ枕元を囲んで、ただただ息を引き取るのを待つのであった。力ない病人の呼吸は一息ごとに弱って行って、顔は刻々に死相を現わし・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜も更けたから洋燈を点けた儘、読みさしの本を傍に置いて何か考えていると、思わずつい、うとうと・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・考えてみると、どうも枕元と襖の間が広すぎるようだった。ふだん枕元に、スタンドや灰皿や紅茶茶碗や書物、原稿用紙などをごてごてと一杯散らかして、本箱や机や火鉢などに取りかこまれた蒲団のなかに寝る癖のある私には、そのがらんとした枕元の感じが、さび・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それともジョージ・ラフトの写真を枕元に飾らないと眠れないと言っていたから、キャバレエへ入って芸者ガールをしているのだろうか。粋にもモダンにも向く肉感的な女であった。二 早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居・・・ 織田作之助 「世相」
・・・……彼女は枕元で包みをひろげて、こう自分に言って聞かせた。「そうかねえ……」と、自分は彼女のニコニコした顔と紅い模様や鬱金色の小ぎれと見較べて、擽ったい気持を感じさせられた。「ほんとに安いものね。六円いくらでみんな揃うんだから……」・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・峻は腸チブスではないかと思った。枕元で兄が「医者さんを呼びに遣ろうかな」と言っている。「まあよろしいわな。かい虫かもしれませんで」そして峻にともつかず兄にともつかず「昨日あないに暑かったのに、歩いて帰って来る道で汗がちっとも出な・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・自分は音を立てぬようにその枕元を歩いて、長火鉢の上なる豆洋燈を取上げた。 暫時聴耳を聳て何を聞くともなく突立っていたのは、猶お八畳の間を見分する必要が有るかと疑がっていたので。しかし確に箪笥を開ける音がした、障子をするすると開ける音を聞・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・『いらっしゃい』とお俊は起ってゆきましたが、しばらく何かその男とこそこそ話をしていましたが、やがて私の枕元に参りまして、『頭領が見えました、何かあなたにお話ししたいことがあるそうです』 なんの頭領だろうと思っていますうちに、その男は・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ おず/\彼女は清吉の枕元へ行って訊ねた。「いや。誰れも来ない。」清吉は眼をつむっていた。「きみか、品が戻った?」「いや。どうしたんだい?」清吉はやはり窃んできたのだなと考えていた。「なんでもないけど。」「なんでもな・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・と彼女の方でそれを娵に言って見せて、別れて行く人の枕許でさんざん泣いたこともあった。「お母さん、そんなにぶらぶらしていらっしゃらないで、ほんとうにお医者さまに診て貰ったらどうです」と別れ際に慰めてくれたのもあの娵だった。どうも自分の身体・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫