・・・口まで泥の中に埋まって、涙を一ぱいためた眼でじっとクララに物をいおうとする三人の顔の外に、果てしのないその泥の沼には多くの男女の頭が静かに沈んで行きつつあるのだ。頭が沈みこむとぬるりと四方からその跡を埋めに流れ寄る泥の動揺は身の毛をよだてた・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・それも秋で、土手を通ったのは黄昏時、果てしのない一面の蘆原は、ただ見る水のない雲で、対方は雲のない海である。路には処々、葉の落ちた雑樹が、乏しい粗朶のごとく疎に散らかって見えた。「こういう時、こんな処へは岡沙魚というのが出て遊ぶ」 ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ と手強き謝絶に取附く島なく、老媼は太く困じ果てしが、何思いけむ小膝を拍ち、「すべて一心固りたるほど、強く恐しき者はなきが、鼻が難題を免れむには、こっちよりもそれ相当の難題を吹込みて、これだけのことをしさえすれば、それだけの望に応ずべし・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・ 妻の繰り言は果てしがない。自分もなぜ早く池を埋めなかったか、取り返しのつかぬあやまちであった。その悔恨はひしひし胸にこたえて、深いため息をするほかはない。「ねいあなた、わたしがいちばん後に見た時にはだれかの大人下駄をはいていた。あ・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・今一目逢いたかった……次から次と果てしなく思いは溢れてくる。しかし母にそういうことを言えば、今度は僕が母を殺す様なことになるかも知れない。僕は屹と心を取り直した。「お母さん、真に民子は可哀相でありました。しかし取って返らぬことをいくら悔・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ お千代の暢気は果てしがない。おとよの心は一足も早く妙泉寺へいってみたいのだ。「でもお千代さんここは姫島のはずれですから、家の子はすぐですよ。妙泉寺で待ち合わせるはずでしたねい」 こういわれてようやくの事いくらか気がついてか、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 結局、この争いは、果てしがつかなかったのです。「今日は、どちらが早いかよく気をつけていろ!」と、製紙工場の煙突は、怒って、紡績工場の煙突に対っていいました。「おまえも、よく気をつけていろ! しかし、二人では、この裁判はだめだ。・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・要するに新旧いずれに就くも、実行的人生の理想の神聖とか崇高とかいう感じは消え去って、一面灰色の天地が果てしもなく眼前に横たわる。讃仰、憧憬の対当物がなくなって、幻の華の消えた心地である。私の本心の一側は、たしかにこの事実に対して不満足を唱え・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・いよいよはいり切らなくなって吐き出し始めたら餅が一とつながりの紐になって果てしもなく続いて出て来たなどという話を聞かされたこともある。真偽の程は保証の限りでない。 雑煮の味というものが家々でみんな違っている。それぞれの家では先祖代々の仕・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・と、同じような考えが胸に往来して、いつまでも果てしがない。その考えは平田の傍に行ッているはずの心がしているので、今朝送り出した真際は一時に迫って、妄想の転変が至極迅速であッたが、落ちつくにつれて、一事についての妄想が長くかつ深くなッて来た。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫