・・・その途端に障子が明くと、頸に湿布を巻いた姉のお絹が、まだセルのコオトも脱がず、果物の籠を下げてはいって来た。「おや、お出でなさい。」「降りますのによくまた、――」 そう云う言葉が、ほとんど同時に、叔母と神山との口から出た。お絹は・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・―― 第一に、記録はその船が「土産の果物くさぐさを積」んでいた事を語っている。だから季節は恐らく秋であろう。これは、後段に、無花果云々の記事が見えるのに徴しても、明である。それから乗合はほかにはなかったらしい。時刻は、丁度昼であった。―・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・多くは果物を餌とする。松葉を噛めば、椎なんぞ葉までも頬張る。瓜の皮、西瓜の種も差支えぬ。桃、栗、柿、大得意で、烏や鳶は、むしゃむしゃと裂いて鱠だし、蝸牛虫やなめくじは刺身に扱う。春は若草、薺、茅花、つくつくしのお精進……蕪を噛る。牛蒡、人参・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ と再度更って、「小児が懐中の果物なんか、袂へ入れさせれば済む事よ。 どうも変に、気に懸る事があってな、小児どころか、お互に、大人が、とぼんとならなければ可いが、と思うんだ。 昨日夢を見た。」 と注いで置きの茶碗に残った・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・三人は東金より買い来たれる菓子果物など取り広げて湖面をながめつつ裏なく語らうのである。 七十ばかりな主の翁は若き男女のために、自分がこの地を銃猟禁制地に許可を得し事柄や、池の歴史、さては鴨猟の事など話し聞かせた。その中には面白き話もあっ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ ある果物屋の前で、ふたたび昨日の美しい女の人に出あいました。 彼は思わず顔を赤らめて、その人を見送りますと、「このごろ、港にはいってきた、赤い船のお客さまだよ。」と、町の女房たちが、うわさしているのをきいたのであります。・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・「果物は、日のよく当たるところでなければ、よく育たないとお父さんもおっしゃったよ。」「じゃ、僕も、こんど日当たりのいいところへ植えかえてやろう。」といって、吉雄くんは、自分のうちのいちじゅくが、くらべものにならぬほど、成長のおそいの・・・ 小川未明 「いちじゅくの木」
・・・そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆっくりと仰ぎ見てたのしんだほど看板が見られたわけだったが、浜子は角座の隣りの果物屋の角をきゅうに千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣の襟を直しました。浜子は蛇ノ目傘の模様の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 仁丹を買うためにパトロンを作った彼女は、煙草も酒も飲まず、酒場のボックスでは果物一つ口にしない行儀のよさが、吉田の学生街のへんに気取ったけちくさいアカデミックな雰囲気に似合っており、容姿にも何かあえかなノスタルジアがあった。 そん・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。 食・・・ 梶井久 「臨終まで」
出典:青空文庫