・・・客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸下さる、その折に主人が御前で製作をしてご覧に入れるよう、そしてその製品を直に、学校から献納し、お持帰りいただくということだったのが、解ったの・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・村の校長さんという人も見えていて「太郎さんの百姓姿をまだ御覧になりませんか、なかなかようござんすよ。」と、私に言ってみせたことを思い出した。「おもしろい話もあります。太郎さんがまだ笹刈りにも慣れない時分のことです。笹刈りと言えばこの土地でも・・・ 島崎藤村 「嵐」
子供のころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。厳粛な瞬間である。その際、・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・もともと、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・此の時には校長と次席訓導とが二人がかりで私を調べた。どういう気持で之を書いたか、と聞かれたので、私はただ面白半分に書きました、といい加減なごまかしを言った。次席訓導は手帖へ、『好奇心』と書き込んだ。それから私と次席訓導とが少し議論を始めた。・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・二十年以上も勤めて、それでも校長になれないんだ。頭が悪いんだよ。息子の僕にさえ、恥ずかしがっているんだよ。生徒も、みんな、ばかにしているんだ。マンケという綽名だよ。だから、僕は、偉くならなくちゃいけないんだ。」「小学校の先生が、なぜそん・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・かれの宿直をした室、いっしょに教鞭を取った人たち、校長、それからオルガンの前にもつれて行ってもらった。放課後で、校庭は静かに、やはり同じようにして、教師や生徒がボールなどをなげていた。 弥勒の村は、今では変わってにぎやかになったけれども・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・溝淵氏は自分等の中学時代に『ラセラス伝』を教わった先生であって、その後ずっと高等学校長を勤めておられたがこれもついごく最近に亡くなられた。 もう一つ、自分の学生時代に世話になった銀座のある商店の養子になっていた人から聞いた話によると、そ・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・これは涜職者を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉を食うなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こうい・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 大山鳴動して一鼠が飛び出したといったようなときの笑いは理知的であり、校長先生の時ならぬくしゃめが生徒の間に呼び起こす笑いなどには道徳的の色彩がある。喜怒愛憎の高潮に伴なう涙は理知や道徳などとは関係の薄い情緒的のものであるが、哀別離苦の・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫