・・・お島婆さんはいざ神を下すとなると、あろう事かお敏を湯巻一つにして、両手を後へ括り上げた上、髪さえ根から引きほどいて、電燈を消したあの部屋のまん中に、北へ向って坐らせるのだそうです。それから自分も裸のまま、左の手には裸蝋燭をともし、右の手には・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・蘆の根から這い上がって、其処らへ樹上りをする……性が魚だからね、あまり高くは不可ません。猫柳の枝なぞに、ちょんと留まって澄ましている。人の跫音がするとね、ひっそりと、飛んで隠れるんです……この土手の名物だよ。……劫の経た奴は鳴くとさ」「・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 自動車がハタと留まって、窓を赤く蔽うまで、むくむくと人数が立ちはだかった時も、斉しく、躑躅の根から湧上ったもののように思われた。五人――その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣で、赤い運動帽子を被っている。・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ だが、椿岳は根からの風流人でも奇人でもなかった。実は衒気五分市気三分の覇気満々たる男で、風流気は僅に二分ほどしかなかった。生来の虚飾家、エラがり屋で百姓よりも町人よりも武家格式の長袖を志ざし、伊藤八兵衛のお庇で水府の士族の株を買って得・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「よろしく、今のうちにその根から掘取りおくべしだ!」 黒島伝治 「国境」
・・・彼女を責めない日は無かった―― 三年振で別れた妻に逢って見た大塚さんは、この平素信じていたことを――そうだ、よく彼女に向って、誰某は女でもなかなかのシッカリものだなどと言って褒めて聞かせたことを、根から底から転倒されたような心地に成った・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。君は、たしかに嘘ばかり言っています。君は、まずしく痩せた小説ばかりを書いて、そうして、昭和の文壇の片隅に現われかけては消え、また現われかけては忘れら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・あなたというお人は、根からの芸人ではあるまい。なにかしら自信ありげの態度じゃないか。いずれは、ゆいしょ正しき煙管屋の若旦那。三代つづいた鰹節問屋の末っ子。ちがいますか? くだんの新内、薄化粧の小さな顔をにゅっと近よせ、あたりはばかるひそひそ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・私は馬鹿に似ているが、けれども、根からの低能でも無かった筈である。自信が無いとは言っても、それはまた別な尺度から言っている事で、何もこんな一面識も無い年少の者から、これ程までにみそくそに言われる覚えは無いのである。 私は立って着物の裾の・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・兄さんは、可哀そうなひとだ。根からの悪人ではない。悪い仲間にひきずられているのだ。私はもう一度、兄さんを信じたい。 箪笥を調べ、押入れに頭をつっこんで捜してみても、お金になりそうな品物は、もはや一つも無かった。思い余って、母に打ち明け、・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫