・・・ 玄関の格子戸がけたたましくあいて、奥さんらしい女の人がいそいで出てきた。「まあ、大変なことをしてくれたネ。こんにゃく屋さん、これはうちの旦那さまが丹精していらッしゃるお菜園だよ、ホンとにまァ」 奥さんは、私の足もとから千切れた・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・二、三十年前の風流才子は南国風なあの石の柱と軒の弓形とがその蔭なる江戸生粋の格子戸と御神燈とに対して、如何に不思議な新しい調和を作り出したかを必ず知っていた事であろう。 明治の初年は一方において西洋文明を丁寧に輸入し綺麗に模倣し正直に工・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮れたばかりのせいか、格子戸内の土間には客は一人もいず、鉄の棒で境をした畳の上には、いつも見馴れた三十前後の顔色のわるい病身らしい番頭が小僧に衣類をたたませていた。われわれは一先・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・後を顧みてかの薄紫の貴女及びその妹の事とその門構付の家を想像し、前を見てこの貧困なるしかし正直なる二人の姉妹とその未来の楽園と予期しつつある格子戸作りを想像して、両者の差違を趣味あるようにも感ずる。また貧富の懸隔はかように色気なき物かとも感・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・それから己は生活の格子戸の前に永らく立っていたものだ。そして何日かは雷のような音がして、その格子戸が開くだろうと、甘いあくがれを胸に持って待っていて見たけれど、とうとう格子戸は開かずにしまった。そうかと思えばある時己はどうしてはいったともな・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・とっつきは狭い格子戸で、下駄を脱ぎ散らした奥の六畳と玄関の三畳の間とをぶっ通しにして、古物めいた椅子と卓子とが置かれているのである。 男が二人いて、それぞれ後から後から来る客にアッテンドしている。年は二十八九と四十がらみで、一目見ても過・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・表通りの小さい格子戸の家々の一画はとり払われて、ある大きい実業家の屋敷となっているが、三年前の二月ごろから表札が代って、姓だけを上の方にちょこんと馴れぬ筆蹟で書いたものが、太い石の門柱に出されている。〔一九三九年六月〕・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・やがて、見晴し亭と朱で電燈の丸火屋に書いた奉納燈があり、同じ文字の横看板をかかげた格子戸が向うに見えた。藍子は「婦系図」の、やはり湯島天神境内の場面を思い出し、自分の書生っぽ姿を思い合わせ、ひとり笑いを浮べた。 格子をあけると、十八九の・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・鳥屋は別当が薄井の爺さんにことわって、縁の下を為切って拵えて、入口には板切と割竹とを互違に打ち附けた、不細工な格子戸を嵌めた。 或日婆あさんが、石田の司令部から帰るのを待ち受けて、こう云った。「別当さんの鳥が玉子を生んだそうで、旦那・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫