・・・アメリカ喜劇のナンセンスが大衆に受ける一つの理由は、つまりここにあるのではないか、有名な小説や劇を仕組んだものが案外に失敗しがちな理由も一つはここにあるのではないかという気がする。 連句には普通の言葉で言い現わせるような筋は通っていない・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・旧組織が崩れ出したら案外速にばたばたいってしまうものだ。地下に水が廻る時日が長い。人知れず働く犠牲の数が入る。犠牲、実に多くの犠牲を要する。日露の握手を来すために幾万の血が流れたか。彼らは犠牲である。しかしながら犠牲の種類も一ではない。自ら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・いいながら案外平気でいっている自分を淋しく感じている。「ええ、でも田甫道あるいていると、作歌ができまして――」「サクカ?」 気がつくと、彼女は弁当づつみのあいだにうすっぺらな雑誌をいれていた。彼女のある期待が、歌などよくわからな・・・ 徳永直 「白い道」
・・・おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜けのした小柄の女で、上野広小路にあった映画館の案内人をしているとの事であった。爺さんはいつでも手拭を後鉢巻に結んでいるので、禿頭か白髪頭か、それも楽屋中知るものはない。腰も曲ってはいなかった・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・人家の灯で案外明いが、人通りはない。 車は小松嶋という停留場につく。雨外套の職工が降りて車の中は、いよいよ広くなった。次に停車した地蔵阪というのは、むかし百花園や入金へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立って・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・概念的体系に捕われて案外に内容の貧弱なものよりも、かえって直覚的な物の見方考え方において優れた所があるかと思う。私は考えるに、ギリシャ哲学には深い思索的な概念的な所と、美しい芸術的な、直感的な所があった。前者はドイツ人がこれを伝え、後者はフ・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べま・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・自分ながら案外なことであった。京都に移り住む前には二十年ぐらいも東京で暮らしていたのであるが、かつてそういう気持ちになったことはない。 気になり始めると、いやなのは緑の色調ばかりではなかった。秋になって、樹々の葉が色づいてくる。その黄色・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫