・・・先生は芝居の桟敷にいる最中といえども、女が折々思出したように顔を斜めに浮かして、丁度仏画の人物の如く綺麗にそろえた指の平で絶えず鬢の形を気にする有様をも見逃さない。さればいよいよ湯上りの両肌脱ぎ、家が潰れようが地面が裂けようが、われ関せず焉・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・大工のみにかぎらず、無尽講のくじ、寄せ芝居の桟敷、下足番の木札等、皆この法を用うるもの多し。学者の世界に甲乙丙丁の文字あれども、下足番などには決して通用すべからず。いろはの用法、はなはだ広くして大切なるものというべし。 然るに不思議なる・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・自分らの頭の上は仮の桟敷で、そこには大尉以下の人が二、三十人、いつも大声で戦の話か何かして居る。その桟敷というのは固より低いもので、下に居る自分らがようよう坐れる位のものだから、呼吸器の病に罹って居る自分は非常に陰気に窮屈に感ぜられる。血を・・・ 正岡子規 「病」
・・・それ等の人々は脂粉の気が立ち籠めている桟敷の間にはさまって、秋水の出演を待つのだそうである。その中へ毎晩のように、容貌魁偉な大男が、湯帷子に兵児帯で、ぬっとはいって来るのを見る。これが陸軍少将畑閣下である。 畑は快男子である。戦略戦術の・・・ 森鴎外 「余興」
・・・翌日わたくしが急いでオペラ座へ往って見ますと、お母あ様と御夫婦とでちゃんと桟敷にいらっしゃったのですね。 女。そこで。 男。それをあなた平気でわたくしにお聞きになるのですか。 女。ではどんなにして伺えばよろしいのでしょう。 ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫