・・・力はあるし、棺桶をめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とト筮ごときは掌である。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文選すらすらで、書がまた好い。一度冥途をってからは、仏・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ と、いうような慰め方をしていた。 棺桶の中にも酒をつめた瓢箪が入れられた。「この酒も入れてあげて下さい」 と言って香奠がわりに持って来る人もあった。それくらい酒好きで通っていたのだ。 そして、それほど好きな酒を、いやと・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・だから、棺桶の中へは、いくらかの金を入れた。死人が、地獄か、極楽かで、その金を出して、自分の休息場を買うのである! 母が、死んだ猫を埋めてやる時、その猫にまで、孔のあいた二文銭を、藁に通して頸にひっかけさし、それで場所を買え、と云ってい・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・しかし、それは棺桶を聯想させた。転進という、何かころころ転げ廻るボールを聯想させるような言葉も発明された。敵わが腹中にはいる、と言ってにやりと薄気味わるく笑う将軍も出て来た。私たちなら蜂一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・政府で歳入の帳尻を合わせるために無茶苦茶にこの材木の使用を宣伝し奨励して棺桶などにまでこの良材を使わせたせいだといううわさもある。これはゴシップではあろうがとかくあすの事はかまわぬがちの現代為政者のしそうなことと思われておかしさに涙がこぼれ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・それかといって棺桶や位牌のごとく生活の決算時の入用でもない。まずなければないでも生きて行くだけにはさしつかえはないもののうちに数えてもいいように思われる。実際今でも世界じゅうには生涯一冊の書物も所有せず、一行の文章も読んだことのない人間は、・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ 自動車の使用が盛になってから、今日では旧式の棺桶もなく、またこれを運ぶ駕籠もなくなった。そして絵巻物に見る牛車と祭礼の神輿とに似ている新形の柩車になった。わたくしは趣味の上から、いやにぴかぴかひかっている今日の柩車を甚しく悪んでいる。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・黒い男は互に言葉も交えずに黙ってこの棺桶を担いで行く。天下に夜中棺桶を担うほど、当然の出来事はあるまいと、思い切った調子でコツコツ担いで行く。闇に消える棺桶をしばらくは物珍らし気に見送って振り返った時、また行手から人声が聞え出した。高い声で・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶は其辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石・・・ 正岡子規 「死後」
・・・原子兵器を全人類にとっての癌たらしめまいと奮闘する仕事を中傷するものがあるとすれば、それは、自分も死ぬことを知らないで、ほくそえみながら厖大な棺の注文を皮算用している棺桶屋ばかりである。〔一九五〇年十月〕・・・ 宮本百合子 「私の信条」
出典:青空文庫