・・・らしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないで徒に汚らしい絵具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・投網の錘をたたきつぶした鉛球を糸くずでたんねんに巻き固めたものを心とし鞣皮――それがなければネルやモンパ――のひょうたん形の片を二枚縫い合わせて手製のボールを造ることが流行した。横文字のトレードマークのついた本物のボールなどは学校のほかには・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学等を知らしむべし。・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・今、この意味をおしひろめて申さんに、そもそも我が開国の初より維新後にいたるまで、天下の人心、皆西洋の文明を悦びて、これに移らんとするに急なれば、人を求むることもまた急にして、いやしくも横文字読む人とあれば、その学芸の種類を問わず、その人物の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ 父兄はもちろん、取引先きも得意先きも、十露盤ばかりのその相手に向い、君は旧弊の十露盤、僕は当世の筆算などと、石筆をもって横文字を記すとも、旧弊の連中、なかなかもって降参の色なくして、筆算はかえって無算視せらるるの勢なり。いわんや、その・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ 博士はみみずのような横文字を一ぺんに三百ばかり書きました。ネネムも一生けん命書きました。それから博士は俄かに手を大きくひろげて「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけ物律、これはこれ宇宙を支配す。」と云い・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・この水田達吉とたどたどしげな横文字で書かれた男はどこにいるのか。どんな気持で彼は暮しているか。音信を絶った心が感じられ、外国暮しの微な侘しさがある。―― 私共は、待ち設けていもしなかった小包を受け、随分元気に歩いて、夕暮の散歩道をホテル・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ 彼等は、書いてあることが下らなかろうが、支那人向きであろうが一向頓着せず、横文字の読めると云う嬉しさ珍しさに我を忘れて、この小冊子も読み耽っただろう。丁度、私共が十二三の頃、面白くもなければ、本当の意味もわからない西鶴や方丈記を、其等・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・つい鼻の先に横文字の招牌が出ている。而も、その建物を塗り立てたペンキの青さ! 毛虫のように青いではないか。私の驚きに頓着せず俥夫は梶棒を下した。ポーチに、棕梠の植木鉢が並べてある。傍に、拡げたままの新聞を片手に、瘠せ、ひどく平たい顱頂に毛髪・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫