・・・不機嫌な時がない。反抗しない。それに好い女と云う意味から云えば、どの女だってドリスより好く見えようがない。人を悩殺する媚がある。凡て盛りの短い生物には、生活に対する飢渇があるものだが、それをドリスは強く感じている。それが優しい、褐色の、余り・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ ドイツの下宿屋で、室に備え付けの洗面鉢を過ってこわしたある日本人が、主婦に対して色々詫言を云うのを、主婦の方では極めて機嫌よく「いや何でもありません、ビッテ、シェーン」を繰返していた。そうしてその人が永い滞在の後に、なつかしい想いを残・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・として何もかも暗中にやってのけて――諸君、議会における花井弁護士の言を記臆せよ、大逆事件の審判中当路の大臣は一人もただの一度も傍聴に来なかったのである――死の判決で国民を嚇して、十二名の恩赦でちょっと機嫌を取って、余の十二名はほとんど不意打・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・これを食わないと婆さんすこぶる御機嫌が悪いのさ」「食えばどうかするのかい」「何でも厄病除のまじないだそうだ。そうして婆さんの理由が面白い。日本中どこの宿屋へ泊っても朝、梅干を出さない所はない。まじないが利かなければ、こんなに一般の習・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・然かのみならず不品行にして狡猾なる奴輩は、己が獣行を勝手にせんとして流石に内君の不平を憚り、乃ち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時の行楽、一として意の如くなら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・すぐご機嫌が直ったでしょう。今日は一つうんとおもしろいことをやりましょう。動物園をあなたはきらいですか」と言いました。 ホモイが、 「うん。きらいではない」と申しました。 狐が懐から小さな網を出しました。そして、 「そら、こ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ 栄蔵は、機嫌をなおして達の持って来たリンゴのさくさく舌ざわりのいいのを喜んで、お節の止めるまで食べた。 リンゴを食べながらも栄蔵は、どうしても達が只戻ったのではなさそうだと想った。 いかほど考えても一週間十日の暇のもらえる・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・忠利はふと腮髯の伸びているのに気がついて住持に剃刀はないかと言った。住持が盥に水を取って、剃刀を添えて出した。忠利は機嫌よく児小姓に髯を剃らせながら、住持に言った。「どうじゃな。この剃刀では亡者の頭をたくさん剃ったであろうな」と言った。住持・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 彼は次第に不機嫌になって来た。「厄介者が行ってくれたんで、晴々するわ。あんな者にいられると、こちまで病気つくがな。」 お霜は安次の立った後の掃除をしながらそう勘次に云った。勘次は何ぜだか母親に突きかかっていきたくなったが黙っていた・・・ 横光利一 「南北」
・・・初めおとなしく食事を取っていた子供は、何ゆえともわからない不満足のために、だんだん不機嫌になって、とうとうツマラない事を言い立ててぐずり出しました。こういう事になると子供は露骨に意地を張り通します。もちろん私は子供のわがままを何でも押えよう・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫