・・・「次男ラヴェンは健気に見ゆる若者にてあるを、アーサー王の催にかかる晴の仕合に参り合わせずば、騎士の身の口惜しかるべし。ただ君が栗毛の蹄のあとに倶し連れよ。翌日を急げと彼に申し聞かせんほどに」 ランスロットは何の思案もなく「心得たり」・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・という作品がある。二男は歴史家であるゴロ・マン。次女モニカはハンガリーの美術史家の妻。三男ミハエルはヴァイオリニスト。末娘のエリザベート・マンがピアニストで、イタリーの反ファシスト評論家ボルゲーゼと結婚しているそうである。 内山氏の紹介・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ この年の末、次男ヘンリーが死んだ。二年後に三女のフランチスカが亡くなった。その棺を買う二ポンドの金さえもフランスの亡命者から借りなければならなかった。「その金で小さな棺を買いその棺の中でいま私の可哀想な子がまどろんでいます。この子・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 思うに、それは、D・H・ローレンスという炭礦夫の息子が、たまたま異常な感受性と表現の才能にめぐまれていて、性の解放を主張し、その解放者である男性を、青年貴族だの、上流資産家の二男などの中に見出さず、自分の生れ育った階級に近いところから・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ケーテはその秋、次男を戦線で失った。この大戦の期間から、それにひきつづくドイツの人々の極度に困窮した不幸になった時代、フローレンス旅行以来しばらく沈黙していたケーテの創作は再び開始された。もう六十歳に近づいて、妻として母として重ねたかずかず・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・光貞はのち名を光尚と改めた。二男鶴千代は小さいときから立田山の泰勝寺にやってある。京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 某は文禄四年景一が二男に生れ、幼名才助と申候。七歳の時父につきて豊前国小倉へ参り、慶長十七年十九歳にて三斎公に召しいだされ候。元和七年三斎公致仕遊ばされ候時、父も剃髪いたし候えば、某二十八歳にて弥五右衛門景吉と名告り、三斎公の御供いた・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・然るに定右衛門の長男亀蔵は若い時江戸へ出て、音信不通になったので、二男定助一人をたよりにしている。その亀蔵が今年正月二十一日に、襤褸を身に纏って深野屋へ尋ねて来た。佐兵衛は「お前のような不孝者を、親父様に知らせずに留めて置く事は出来ぬ」と云・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・三十六歳で右近衛権少将にせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子二郎三郎信康が二十一歳になり、二男於義丸(秀康が五歳になった時、世にいう築山殿事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑のために生害した。後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫