・・・唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。 近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しよう・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・ 田口一等卒はこう云うと、狼狽したように姿勢を正した。同時に大勢の兵たちも、声のない号令でもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・…… 阿闍梨は褊袗の襟を正して、専念に経を読んだ。 それが、どのくらいつづいたかわからない。が、暫くすると、切り燈台の火が、いつの間にか、少しずつ暗くなり出したのに気がついた。焔の先が青くなって、光がだんだん薄れて来る。と思うと、丁・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・大浦は彼の顔を見ると、そう云う場所にも関らず、ぴたりと姿勢を正した上、不相変厳格に挙手の礼をした。保吉ははっきり彼の後ろに詰め所の入口が見えるような気がした。「君はこの間――」 しばらく沈黙が続いた後、保吉はこう話しかけた。「え・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・と、片手を畳に、娘は行儀正しく答えた。「何神様が祭ってあります。」「お父さん、お父さん。」と娘が、つい傍に、蓮池に向いて、という膝ぎりの帷子で、眼鏡の下に内職らしい網をすいている半白の父を呼ぶと、急いで眼鏡を外して、コツンと水牛の柄・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ お通はこれが答をせで、懐中に手を差入れて一通の書を取出し、良人の前に繰広げて、両手を膝に正してき。尉官は右手を差伸し、身近に行燈を引寄せつつ、眼を定めて読みおろしぬ。 文字は蓋し左のごときものにてありし。お通に申残し参らせ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・欣弥、不器用に慌しく座蒲団を直して、下座に来り、無理に白糸を上座に直し、膝を正し、きちんと手をつく。欣弥 一別以来、三年、一千有余日、欣弥、身体、髪膚、食あり生命あるも、一にもって、貴女の御恩……白糸 (耳にも入撫子 (・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・惨澹として旌旗を捲く 仇讎を勦滅するは此時に在り 質を二君に委ぬ原と恥づる所 身を故主に殉ずる豈悲しむを須たん 生前の功は未だ麟閣に上らず 死後の名は先づ豹皮を留む 之子生涯快心の事 呉を亡ぼすの罪を正して西施を斬る 玉梓亡・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるような作品は極めて少ないように思う。 併し古い例であるが、故独歩の作品中のある物の如きは、読んで・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・私は彼等の素直なる、そしてただ素直でしかない、面白くないという点では殆んど殺人的な作品が、われわれに襟を正して読むことを強制しているという日本の文壇の、昨日に変らぬ今日の現状に、ただ辟易するばかりである。彼等の文学は、ただ俳句的リアリズムと・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫