・・・では火の玉の正体を現わし、『武道伝来記』の一と三では鹿嶋の神託の嘘八百を笑っている。 この迷信を笑う西鶴の態度は翻って色々の暴露記事となるのは当然の成行きであろう。例えば『諸国咄』では義経やその従者の悪口棚卸しに人の臍を撚り、『一代女』・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其顔を見詰めると、お民の方でもじろりと僕の顔を尻目にかけて壁の懸物へと視線をそらせたが、その瞬間僕の目に映じたお民の容貌の冷静なことと、平生から切長の眼尻に剣のあった其の眼の鋭い事とは・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・僕にあれほど堅い約束をして、経歴談をきかせるの、医者の日記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寝ちまうんだ。――そうして、非常ないびきをかいて――」「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」「時に天気はどうだい」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・なぜかと云うと元来この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟をつけて、髭を生やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないにはきまっ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 安岡は研ぎ出された白刃のような神経で、深谷が何か正体をつかむことはできないが、凄惨な空気をまとって帰ったことを感じた。 ――決闘をするような男じゃ、絶対にないのだが。―― 安岡は、そんな下らないことに頭を疲らすことが、どんなに・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・が乱れとんで、出所も正体もわからないまま、五・一五、二・二六と人心をかきみだして行って、遂に、無判断無批判にならされた人民を破滅的な戦争に追いこんで行ったいきさつは、こんにちあらわれる二・二六実記と称するものをよんでさえ、よくうかがえます。・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・この日、ラジオの解説の時間は、戦時利得税、財産税というものの正体がつまるところは大衆課税であって、より多くの持てる者が、持たざるものよりも遙に有利に権力によって守られる仕組みにできていることを、確認させたのであった。この課税の方法によると大・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・その、かのようにと云う怪物の正体も、少し見え掛っては来たが、まあ、茶でももう一杯飲んで考えて見なくては、はっきりしないね。」「もうぬるくなっただろう。」「なに。好いよ。雪と云う、証拠立てられる事実が間へ這入って来ると、考えがこんがら・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・そんな事を考えながら、格別今女の子のこわがった物の正体を確めたいと云う熱心もなく、垣のとぎれた所から、ちょっと横に這入って見た。 そこには少し引っ込んだ所に、不断は植木鉢や箒でも入れてありそうな、小さい物置があった。もう物蔭は少し薄暗く・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・手紙を拾った翌日あなたの御亭主の正体が分かる。あなたのうそが分かる。そこでわたくしは無駄骨を折らなくてもいい事になる。あんな御亭主に比べて見れば、わたくしは鬚ぐらい剃らずにいたって、十割も男が好いわけですからね。そこでわたくしは段々身だしな・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫