・・・改造社の主人山本さんが僕と博文館との間に立って、日に幾回となく自動車で往復している最中、或日の正午頃に一人の女がふらふらと僕の家へ上り込んで来て、僕の持っている家産の半分を貰いたいと言出した。これが事件の其二である。 博文館なるものはこ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 午前五時、午前九時、正午十二時、午後三時、午後六時には取入口から水路、発電所、堰堤と、各所から凄じい発破の轟音が起った。沢庵漬の重石程な岩石の破片が数町離れた農家の屋根を抜けて、囲炉裏へ飛び込んだ。 農民は駐在所へ苦情を持ち込んだ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午から七時まで番水があたったので樋番をした。何せ去年からの巨きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛けてこぼこぼはっていく温い水へ足を入れていてついとろっとしたら・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 八月八日農場実習 午前八時半より正午まで 除草、追肥 第一、七組 蕪菁播種 第三、四組 甘藍中耕 第五、六組 養蚕実習 第二組(午后イギリス海岸に於て第三紀偶蹄類の足跡・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
或瞬間 正午のサイレンが鳴ってよほど経つ 少し空腹 工事場でのこぎりの音 せわしい技巧的ななめらかな小鳥のさえずり、いかにも籠の小鳥らしい美しさで鳴く とつぜん ガランガランと ・・・ 宮本百合子 「心持について」
・・・ 健康な村のニキートや技師マイコフがする通り、患者達も朝は自分の茶を急須につまんで、病院からくれる湯をついで、それがすきなら受皿にあけてゆっくりのむ。 正午十二時に食事が配られ、四時すぎ夕食が配られ、夜は又茶だ。 夕方の六時、シ・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ それは正午と限ったことはない。とにかく「汽車を見にゆく」ときにはきっとお弁当がいり、それは、田端で汽車を見ながら食べられなければならなかった。 弁当箱そのものが、子供らには重大な関心をもたれていた。何しろそれはイギリスから父が送っ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 十日には又寒い西北の風が強く吹いていると、正午に大名小路の松平伯耆守宗発の上邸から出火して、京橋方面から芝口へ掛けて焼けた。 続いて十一日にも十二日にも火事がある。物価の高いのに、災難が引き続いてあるので、江戸中人心恟々としている・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・街へ着くと正午になりますやろか。」「そりゃ正午や。」と田舎紳士は横からいった。農婦はくるりと彼の方をまた向いて、「正午になりますかいな。それまでにゃ死にますやろな。正午になりますかいな。」 という中にまた泣き出した。が、直ぐ饅頭・・・ 横光利一 「蠅」
・・・私は過激な言葉をもって反対者を責め家族の苦しみを冒して、とうとう今日の正午に瀕死の病人を包みくるんだ幾重かの嘘を切って落とす事に成功した。肉体の苦しみよりもむしろ虚偽と不誠実との刺激に苦しみもがいていた病人が、その瞬間に宿命を覚悟し、心の平・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫