・・・は何時のように滑川の辺まで散歩して、さて砂山に登ると、思の外、北風が身に沁ので直ぐ麓に下て其処ら日あたりの可い所、身体を伸して楽に書の読めそうな所と四辺を見廻わしたが、思うようなところがないので、彼方此方と探し歩いた、すると一個所、面白い場・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 闇にも歓びあり、光にも悲あり、麦藁帽の廂を傾けて、彼方の丘、此方の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩ゆきばかりの景色。自分は思わず泣いた。 国木田独歩 「画の悲み」
・・・真の定鼎はまだ此方に蔵してあるので、それは太常公の戒に遵って軽かろがろしく人に示さぬことになっているから御視せ申さなかったのである。しかるに君が既に千金を捐てて贋品を有っているということになると、君は知らなくても自分は心に愧じぬという訳には・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 六歳の時、關雪江先生の御姉様のお千代さんと云う方に就いて手習を始めた。此方のことは佳人伝というものに出て居る、雪江先生のことは香亭雅談其他に出て居る。父も兄も皆雪江先生に学んだので、其縁で小さいけれども御厄介になったのです。随分大勢習・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・知らない旅客、荷を負った商人、草鞋掛に紋附羽織を着た男などが此方を覗き込んでは日のあたった往来を通り過ぎた。「広岡先生が上田から御通いなすった時分から見やすと、御蔭で吾家でもいくらか広くいたしやした」 こう内儀さんも働きながら言った・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・髪の毛をレースのように編んで畳み込み、体の彼方此方に飾りを下げ、スバーの自然の美しさを代なしにするに一生懸命になりました。 スバーの眼は、もう涙で一杯です。泣いて瞼が腫れると大変だと思う母親は、きびしく彼女を叱りました。が、涙は小言など・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「東京なら此方へ来ちゃダメだぞ。とんでもない処へ行っちまうぜ」と云うので、教えられたままにそこから直角に曲って南へ正しい街道を求めながら人気の稀な多摩の原野を疾走した。広大な松林の中を一直線に切開いた道路は実に愉快なちょっと日本ばなれのした・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・第一、この映画を撮影している人々が画面の此方に大勢いるはずである。その人々の中であるいは指揮棒でも振って老人の歌の拍子をとっているコンダクターがいるかもしれないとすると、鴉はその視覚に感ずるある運動する光像のリズムに反応しているのかもしれな・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・これが本葬で、香奠は孰にしても公に下るのが十五円と、恁云う規則なんでござえんして…… それで、『大瀬、お前は晴二郎の死骸を、此まま引取って行くか、それとも此方で本葬をして骨にして持って行くか、孰でも其方の都合にするが可い』と、まあ恁う仰・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ そのとき、知っていたのかどうか、利助は着物を着ながら、此方を振り向いた。そしてじっと、利平の顔を見た……と思った、その眼、その眼……。 利平は、あわてて障子を閉め切った。「あの眼だ、あの眼だ、川村もあの眼だ!」 利平は、お・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫