・・・その六人の跡から、ただ一人忙しい、不揃な足取で、そのくせ果敢の行かない歩き方で、老人が来る。丈が低く、がっしりしていて、背を真直にして歩いている。項は広い。その上に、直ぐに頭が付いている。背後にだけ硬い白髪の生えている頭である。破れた靴が大・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・そして、馬の息を休めるために、ゆっくり歩きました。 そのうちにウイリイは、ふと、向うの方に何かきらきら光るものが落ちているのに目をとめました。それは金のような光のある、一まいの鳥の羽根でした。ウイリイは、めずらしい羽根だからひろっていこ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・そして歩き付きが意気だわ。お前さんまだあの人の上沓を穿いて歩くとこは見たことがないでしょう。御覧よ。こうして歩くのだわ。それからおこるとね、こんな風に足踏をしてよ。「なんという下女だい。いつまで立っても珈琲の・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・なむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのお・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・女の発情を察知していた。歩きながら囁いた。「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」 女は、からだを固くした。 一つ。女は、死にそうになった。 二つ。息ができなくなった。 三つ。大学生は、・・・ 太宰治 「あさましきもの」
渠は歩き出した。 銃が重い、背嚢が重い、脚が重い、アルミニウム製の金椀が腰の剣に当たってカタカタと鳴る。その音が興奮した神経をおびただしく刺戟するので、幾度かそれを直してみたが、どうしても鳴る、カタカタと鳴る。もう厭になってしまっ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・おれは口笛を吹いて歩き出した。 その晩はよく寝た。子供のように愉快な夢を見て寝た。翌朝目を覚まして、鼻歌を歌いながら、起きて、鼻歌を歌いながら、顔を洗って、朝食を食った。なんだか年を逆さに取ったような心持がしている。おれは「巴里へ行く汽・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 二人はまた歩き出す。絃の音は、前よりも高くふるえて、やがて咽ぶように落ち入る。 ヴァイオリンの音の、起伏するのを受けて、山彦の答えるように、かすかな、セロのような音が響いて来る。それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴ・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・ 一緒に歩きながら、私達はよくハワイの話をした。林のお父さんも、お母さんもまだそこで大きな商店をやってるということだった。「アメリカさ、太平洋の真ン中にあるよ」 フーン、と私は返辞する。地図で習ったことを思いだすが、太平洋がどれ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 午飯が出来たと人から呼ばれる頃まで、庭中の熊笹、竹藪の間を歩き廻って居た田崎は、空しく向脛をば笹や茨で血だらけに掻割き、頭から顔中を蛛の巣だらけにしたばかりで、狐の穴らしいものさえ見付け得ずに帰って来た。夕方、父親につづいて、淀井と云・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫