・・・仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。 凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・溝石の上に腰を落して、打坐りそうに蹲みながら、銜えた煙管の吸口が、カチカチと歯に当って、歪みなりの帽子がふらふらとなる。…… 夜は更けたが、寒さに震えるのではない、骨まで、ぐなぐなに酔っているので、ともすると倒りそうになるのを、路傍の電・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 地殻の歪みが漸次蓄積して不安定の状態に達せる時、適当なる第二次原因例えば気圧の変化のごときものが働けば地震を誘発する事は疑いなきもののごとし。故に一方において地殻の歪みを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉するを得れば地・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルに到ってはこれをエーテル中の電磁的歪みの波状伝播と考えられるに到った。その後アインスタイン一派は光の波状伝播を疑った。また現今の相対原理ではエーテルの存在を無意味にしてしまったよ・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・鉄で作った金平糖のようなえらの八方へ出た星を、いくらか歪みなりにできた長味のある輪から抜き取るのや、象牙でこしらえた小さい角棒の組合せから、糸で繋いだ、それよりも小さい砕片を潜らせるのや、いろんなのがあった。おひろはそんな物が好きであった。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・行けない学生は何のために学校にゆけないかを考えてみれば、職場の人のおかれている衣食住の困難、そこからおこる人間性の歪み、それと闘ってゆく人間らしい健気さでは、学生も職場の人もまったく同じ条件のうえにおかれている。そしてそこには男と女の勤労者・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・にひきずられて、天性の重厚のままにとりかえしのつかないほど歪み萎えさせられたところにある。 森鴎外にしろ、夏目漱石にしろ、荷風にしろ、当時の社会環境との対決において自分のうちにある日本的なものとヨーロッパ的なものとの対立にくるしんだ例は・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・ それが歪んだ人間の使いかたであるからと云って、その歪みを生き身にうけて、云って見れば自分たちの肉体で歴史の歪みをためてゆかなければならない私たち現代の女が、歪みのままに自分の気持を萎えさせて、どうせ、と云ってしまったら、どこから自分た・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・女の職業と仕事との分裂した評価が女の側からさえ行われている間、仕事そのものの内容や評価も、自然客観的には低められ、歪み無気力なディレッタンティズムの中にかがまってしまうことになると思います。〔一九三七年七月〕・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・それのみか、一年の時を経た昨今、彼らは呆然自失から立ちなおり、きわめて速力を出して、この佝僂病が人間性の上にのこされているうちに、まだわたしたちの精神が十分強壮、暢達なものと恢復しきらないうちに、その歪みを正常化するような社会事情を準備し、・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
出典:青空文庫