・・・妻は台所の土間に藁火を焚いて、裸体の死児をあたためようとしている。入口には二、三人近所の人もいたようなれどだれだかわからぬ。民子、秋子、雪子らの泣き声は耳にはいった。妻は自分を見るや泣き声を絞って、何だってもう浮いていたんですものどうしてえ・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ 四月二日朝、おせいは小石川のある産科院で死児を分娩した。それに立合った時の感想はここに書きたくない。やはり、どこまでも救われない自我的な自分であることだけが、痛感された。粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、もはや八・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・人間の科学に照らせばそれは明白に不可能な事であるが、しかし猫の精神の世界ではたしかにこれは死児の再生と言っても間違いではない。人間の精神の世界がN元のものとすれば、「記憶」というものの欠けている猫の世界は元のものと見られない事もない。 ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ときどき彼を見舞いに来る高田と会ったとき、梶は栖方のことを云い出してみたりしたが、高田は死児の齢を算えるつまらなさで、ただ曖昧な笑いをもらすのみだった。「けれども、君、あの栖方の微笑だけは、美しかったよ。あれにあうと、誰でも僕らはやられ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫