・・・頓て浮世の隙が明いて、筐に遺る新聞の数行に、我軍死傷少なく、負傷者何名、志願兵イワーノフ戦死。いや、名前も出まいて。ただ一名戦死とばかりか。兵一名! 嗟矣彼の犬のようなものだな。 在りし昔が顕然と目前に浮ぶ。これはズッと昔の事、尤もな、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
一 行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶えられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・空は底を返したるごとく澄み渡りて、峰の白雲も行くにところなく、尾上に残る高嶺の雪はわけて鮮やかに、堆藍前にあり、凝黛後にあり、打ち靡きたる尾花野菊女郎花の間を行けば、石はようやく繁く松はいよいよ風情よく、えんようたる湖の影はたちまち目を迎え・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・て武の顔を見ると、武も少し顔を赤らめて言いにくそうにしていましたが、『まアここへ坐って下さりませ、私はちょっと出て来ますから』と言い捨てて行こうとしますから、『なんだ、なんだ、私はいやだ、一人残るのは』と思わず言いますと、『それ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・しかし利他の動機は確かに利己から独立に存在しても、利己と利他とが矛盾するときいずれをさきに、いかなる条件にしたがって満足せしむべきかの問題は依然として残る。これが「ギリシャ主義とキリスト教主義との調和の道」を求めねばならぬ所以であり、他人の・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ そのあとに、もろい白骨以外何が残るか!「まだ、俺等は、いゝくじを引きあてたんか!」彼等はまた考えた。 いのちが有るだけでも感謝しなければならない。 そして、又、「アルファベット数えてしまえば、親爺や、お袋がいるところへ帰っ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・唐の時は釣が非常に行われて、薜氏の池という今日まで名の残る位の釣堀さえあった位ですから、竿屋だとて沢山ありましたろうに、当時持囃された詩人の身で、自分で藪くぐりなんぞをしてまでも気に入った竿を得たがったのも、好の道なら身をやつす道理でござい・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・それは聞いてしまってからも、身体の中に音そのまゝの形で残るような音だった。この戸はこれから二年の間、俺のために今のまゝ閉じられているんだ、と思った。 薄暗い面会所の前を通ると、そこの溜りから沢山の顔がこっちを向いた。俺は吸い残りのバット・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・が脱ければ残るところの「やけ」となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂肚に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・どうせ今の住居はあの愛宕下の宿屋からの延長である。残る二人の子供に不自由さえなくば、そう想ってみた。五十円や六十円の家賃で、そう思わしい借家のないこともわかった。次郎の出発を機会に、ようやく私も今の住居に居座りと観念するようになった。 ・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫