・・・川井と後藤とは、銃がないことを残念がりながら、手あたり次第に犬を剣で払いのけた。が、犬は、払いのけきれない程、次から次へとつゞいて殺倒した。全く、彼等を喰い殺さずにはおかないような勢いだった。その時、浜田は、自分の銃でない、ちがった銃声を耳・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金のまわりが悪くて断れていた。若崎は拝伏して泣いた。供奉諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心の叫びを知ろうようは無かった。 しかし、天恩洪大で、かえって芸術・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ ところが、どうしても残念なことが一つあった。それは隣りの同志が実によく「われ/\の旗日」を知っていることである。……いや、そうでなかった。それなら俺だって却々負けずに知っている。実は、その日になると、俺は何時でも壁を打つことで、隣りの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・前に出版した透谷集の方には写真を出し、後に出した透谷全集には弟の丸山君の書いた肖像画を出したのであるが、北村君をよく現わすようなものが、残っていないのは残念である。北村君は大変声の涼しいような人で、私は北村君の事を思い出す度に、種々な書いた・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・中でも五〇万冊の本をすっかり焼いた帝国大学図書館以下、いろいろの官署や個人が二つとない貴重な文書なぞをすっかり焼いたのは何と言っても残念です。大学図書館の本は、すっかり灰になるまで三日間ももえつづけていました。 以上の外、火災をのがれた・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・私が馬鹿な事ばかりやらかして、ちっとも立派な仕事をせぬうちになくなって、残念でなりません。もう五年、十年生きていてもらって、私が多少でもいい仕事をして、お父さに喜んでもらいたかった、とそればかり思います。いま考えると「おどさ」の有難いところ・・・ 太宰治 「青森」
・・・ S先生が生きてさえおられれば、もう一遍よく御尋ねして確かめる事が出来るのであるが残念なことには数年前に亡くなられたので、もうどうにも取返しがつかない。もしS先生の御遺族なりあるいは親しかった人達を尋ねて聞いて歩いたら、あるいはその断片・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ 秋山大尉は残念でならねえ。○○師団のところへ掛合行きも行った。五度も行って縋った。○○師団長も終に怒った。軍隊の命令は、総て、天皇陛下のお言渡しと心得ろと然う言って叱って返した。秋山さんも、何うも為方がねえ。 尤も奥さんの綾子さん・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・で、その原因事情はいずれにもせよ、大審院の判決通り真に大逆の企があったとすれば、僕ははなはだ残念に思うものである。暴力は感心ができぬ。自ら犠牲となるとも、他を犠牲にはしたくない。しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・田崎は万一逃げられると残念だから、穴の口元へ罠か其れでなくば火薬を仕掛けろ。ところが、鳶の清五郎が、組んで居た腕を解いて、傾げる首と共に、難題を持出した。「全体、狐ッて奴は、穴一つじゃねえ。きつと何処にか抜穴を付けとくって云うぜ。一方口・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫