・・・その間にあって、――毀誉褒貶は世の常だから覚悟の前だが――かの「デカダン論」出版のために、生活の一部を助けている教師の職を、妻の聴いて来た通り、やめられるなら、早速また一苦労がふえるという考えが、強く僕の心に刻まれた。 しかし、その時は・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・椿岳は江戸末季の廃頽的空気に十分浸って来た上に、更にこういう道義的アナーキズム時代に遭逢したのだから、さらぬだに世間の毀誉褒貶を何の糸瓜とも思わぬ放縦な性分に江戸の通人を一串した風流情事の慾望と、淫蕩な田舎侍に荒らされた東京の廃頽気分とが結・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨が世間からも重く見られず、自らも世間の毀誉褒貶に頓着しなかった頃は宜かったが、段々重く見られて自分でも高く買うようになると自負と評判とに相応する創作なり批評なりを書かねばならなくなるから、苦しくもなり固くもなった。同時に自分を案外安く扱・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・しかし、それでも書きつづけて行けば、いつかは神に通ずる文学が書けるのだろうか、今は、せめて毀誉褒貶を無視して自分にしか書けぬささやかな発見を書いて行くことで、命をすりへらして行けばいいと思っている。もっとくだらぬ仕事で命をすりへらす人もある・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ 私の文学は、目下毀誉褒貶の渦中にある。ほめられれば一応うれしいし、けなされれば一応面白くない。しかし一応である。 なぜなら、毀も貶も、誉も褒も、つねに誤解の上に立っていると思うからだ。もっとも、作家というものは結局誤解のくもの巣に・・・ 織田作之助 「私の文学」
・・・しかしまた俗流の毀誉を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別はなかなかわかりにくいようである。また、少し感の悪いうっかり者が、とんでもない失策を演じながら当人はそれと気がつかずに太平楽な顔をしている・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・もとより智能を発育するには、少しは文字の心得もなからざるべからずといえども、今の実際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉もまた、これにしたがい、よく難字を解しよく・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文学に対する尊敬の念が強かったので、例えばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・どうせ一旦女優になったからには、一生取るにも足りない毀誉褒貶の的となってのみ過るのは、余り甲斐ないことではないだろうか、過去十年の時日は、何か、更にもう一歩を期待させる。〔一九二一年十月〕・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・私は、個人的なものの考え方で、すべての毀誉褒貶を皆自分のこやしとして、自分が正しいと思う方へひたすら伸びてゆくこと、そして、よかれあしかれ自分の生きっぷりと、そこから生れる仕事で批評をつき抜いて行くこと、それを心がけとしてやっていた。 ・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
出典:青空文庫