・・・これは毎夜の事でその日漁した松魚を割いて炙るのであるが、浜の闇を破って舞上がる焔の色は美しく、そのまわりに動く赤裸の人影を鮮やかに浮上がらせている。焔が靡く度にそれがゆらゆらと揺れて何となく凄い。孕の鼻の陰に泊っている帆前船の舷燈の青い光が・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・その上にこの猫はいわゆる下性が悪かった。毎夜のように座ぶとんや夜具のすそをよごすのであった。その始末をしなければならない台所の人たちの間にははやくにたまに対する排斥の声が高まった。そうでない人でも物を食う時のたまの挙動をあさましく不愉快に感・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・辻を北に取れば竜泉寺の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通いの人力車がこの道を引きもきらず、提灯を振りながら走り過るのを、『たけくらべ』の作者は「十分間に七十五輌」と数・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・追手に捕まって元の曲輪へ送り戻されれば、煙管の折檻に、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中にこの女の望み得べき幸福の絶頂なのである。と思えば先生の耳には本調子も二上りも三下りも皆この世は夢じゃ諦めしゃんせ諦めしゃ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて浪を切って進んで行く。凄じい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。ただ波の底から焼火箸のような太陽が出る。それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂っているかと思うと、いつの間にか大きな・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・いくらか熱が出て居るようでもあるが毎夜の事だからそれにも構わず仕事にかかって居る。けれども熱のある間は呼吸が迫るので仕事はちっともはかどらぬ。それのみでない蒲団の上に横になって、右の肱をついて、左の手に原稿紙を持って、書く時には原稿紙の方を・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・鉄道線路も近いので、ボッボッボッボと次第に速く遠く消え去って行く汽車の響もきこえ、一日のうちに何度か貨車が通過するときには家が揺すぶれる。毎夜十一時すこし過ぎてから通るのが随分重いとみえて、いつもなかなかひどく揺れる。それから夜中の二時頃通・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・恐らく昔、唐船入津の時節、或は毎夜、そこに燈明が点ぜられたものであろう。大体、この福済寺からの眺望は、長崎らしいということでは際立ったものと思う。細雨を傘によけて大観門外に立って見ると、海路平安と銘あるそのすっきりした慈航燈を前景とし、右に・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・「お前は、俺があの汚い二階の紙屑の中に坐っている頃、毎夜こっそり来てくれたろう。」 妻は黙って頷いた。「俺はあの頃が一番面白かった。お前の明るいお下の頭が、あの梯子を登った暗い穴の所へ、ひょっこり花車のように現われるのさ。すると・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・ なお喜んで貰うためには、「私はこれからあなたの夢を毎夜見ようと思います。」と云うが良い。 またもし彼女と争うた場合には、「ああ、私は今夜あなたと争った夢を見なければなりません。」と云えば良い。 そうしてもしも、彼女が君・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫