・・・「忙しくてね、こっちはあれから毎晩徹夜だろう。朝細君が起きてから、寝るという始末だ」「そんなこったろうと思った。しかし、初夜は一緒に寝たんだろう」「ところが、前の晩徹夜したので、それどころじゃない。寝床にはいるなり、前後不覚に寝・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・時分よりもいっそう険悪な啀み合いを、毎晩のように自分は繰返した。彼女の顔にも頭にも生疵が絶えなかった。自分も生爪を剥いだり、銚子を床の間に叩きつけたりしては、下宿から厳しい抗議を受けた。でも昨今は彼女も諦めたか、昼間部屋の隅っこで一尺ほどの・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給え。 僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんな既に結核に冒されてしまったような風景でもなければ、思いあがった詩人めかした・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・田はその昔、ある大名の下屋敷の池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山らしいのがいくつか凸起しているので、雁にはよき隠れ場であるので、そのころ毎晩のように一群れの雁がおりたものです。 恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆる・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・彼は、毎晩、その下をくぐりぬけ、氷で辷りそうな道を横切って、ある窓の下に立ったのであった。「ガーリヤ!」 彼は、指先で、窓硝子をコツコツ叩いた。肺臓まで凍りつきそうな寒い風が吹きぬけて行った。彼は、その軒の下で暫らく佇んでいた。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 養生園に移ってからのおげんは毎晩薬を服んで寝る度に不思議な夢を辿るように成った。病室に眼がさめて見ると、生命のない器物にまで陰と陽とがあった。はずかしいことながら、おげんはもう長いこと国の養子夫婦の睦ましさに心を悩まされて、自分の前で・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ ウイリイは、その部屋の中の美しい女の人の顔を、毎晩紙へ画き取りました。しかしなかなか思うように上手にかけなくて、たんびにいく枚も/\かき直しました。 一たい厩の建物では、夜もけっして灯をつけないように、きびしくさし止めてありました・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ふたりで毎晩一升以上も呑むようでしたが、どちらも酒に強いので、座の乱れるようなことは、いちどもありませんでした。三兄は、決してそのお仲間に加わらず、知らんふりして自分の席に坐って、凝ったグラスに葡萄酒をひとりで注いで颯っと呑みほし、それから・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ひと月前の七月十三日の夜には哲学者のA君と偶然に銀座の草市を歩いて植物標本としての蒲の穂や紅花殻を買ったりしたが、信州では八月の今がひと月おくれの盂蘭盆で、今夜から十七日まで毎晩この温泉宿の前の広場で盆踊りがあるという。 盆踊りといえば・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ 道太は格別の興味も惹かなかったけれど、ある晩お絹と辰之助とで、ほとんど毎晩の癖になっている、夜ふけてからの涼みに出て、月光が蛇のように水面を這っている川端をぶらぶらあるいていると、ふとその劇場の前へ出た。お絹はそういうときの癖で、踊り・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫