・・・一方の端を揃えて、較べると、彼の緒は誰のに比しても短い。彼は、まだ六ツだった。他の大きい学校へ上っている者とコッツリコをするといつも負けた。彼は緒が短いためになお負けるような気がした。そして、緒の両端を持って引っぱるとそれが延びて、他人のと・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・――こっちの冬はそれに比べると、故里の春先きのようなものだ。」と云ったそうだね。弟は困って、又何べんも片方の眼だけをパチ/\させて、「故里の方はとても嵐だって!」と繰りかえしたところが、お前が編笠をいじりながら、突然奇妙な顔をして、「お前片・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・それに比べると次郎は、私の甥を思い出させるような人なつこいところと気象の鋭さとがあった。この弟のほうの子供は、宿屋の亭主でもだれでもやりこめるほどの理屈屋だった。 盆が来て、みそ萩や酸漿で精霊棚を飾るころには、私は子供らの母親の位牌を旅・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・あのお新を相手に臥たり起きたりした小山の家の奥座敷に比べると、そこで見る窓はもっと深かった。 養生園に移ってからのおげんは毎晩薬を服んで寝る度に不思議な夢を辿るように成った。病室に眼がさめて見ると、生命のない器物にまで陰と陽とがあった。・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。 ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・、昔は私の畑仕事にときどき手伝って下さったものなのに、ちか頃はてんで、うちの事にかまわず、お隣りの畑などは旦那さまがきれいに手入れなさって、さまざまのお野菜がたくさん見事に出来ていて、うちの畑はそれに較べるとはかなく恥かしくただ雑草ばかり生・・・ 太宰治 「おさん」
・・・東京で十年間、さまざまの人と争い、荒くれた汚い生活をして来た私に較べると、全然別種の人のように上品だった。顔の線も細く、綺麗だった。多くの肉親の中で私ひとりが、さもしい貧乏人根性の、下等な醜い男になってしまったのだと、はっきり思い知らされて・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・勿論この銀行員の風采は、伯爵中尉と比べることは出来ない。しかし世間並から言えば、かなりの男振りで、立派に通用するのである。 ポルジイは暇を遣るとき握手して遣ることは出来なかった。それは自分の手が両方共塞がっていたからである。右には紙巻烟・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・に逢った。その案内で程近い洞穴の底に雪のある冷泉を紹介された。小さな洞穴の口では真冬の空気と真夏の空気が戦って霧を醸していた。N君からはまた浅間葡萄という高山植物にも紹介された。われわれの「葡萄」に比べると、やはり、きりっと引きしまった美し・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・あれに比べると外の多くの騒がしい絵は、云わば腹のへっているのに無闇に大きな声を出しているような気のするものである。真に美しいものは大人しく黙っている。しかしそれはいつまでも見た人の心に美しい永遠の響を留める。そしてその余韻は、その人の生活を・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
出典:青空文庫