・・・私たちに比べると、世間の人はそれこそしゃあしゃあしたもんや。私なんかそばではらはらするようなことでも平気や」おひろは珍らしく気を吐いた。「いつ見ても何となしぱっとしないようだな」「ぱっとできるようなら、今時分こんな苦労していませんよ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・着物の着こなしも、初て目見得の夜に見た時のように、いつも少し衣紋をつくり、帯も心持さがり加減に締めているので、之を他の給仕女がいずれも襟は苦しいほどに堅く引合せ、帯は出来るだけ胸高にしめているのに較べると、お民一人の様子は却て目に立った所か・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・が、この二つの要求を較べると明かに矛盾である。――ここまでは宜しいのです。しかしオイケンはこの矛盾はどっちかに片づけなければならず、また片づけらるべきものであるかのごとき語気で論じていたように記憶していますが――すなわちそういうように相反す・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・私がこういう事を平気で諸君の前で述べて、それであなた方は笑って聴いているくらいなのだから、今の人は昔に比べるとよほど倫理上の意見についても寛大になっている事が分ります。これが制裁の厳重で模範的行動を他に強いなければやまない旧幕時代であったら・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ 小さな、駄目に決まり切っているあの南瓜でも私達に較べると実に羨しい。 マルクスに依ると、風力が誰に属すべきであるか、という問題が、昔どこかの国で、学者たちに依って真面目に論議されたそうだ。私は、光線は誰に属すべきものかという問題の・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・桑の実の味はあまり世人に賞翫されぬのであるが、その旨さ加減は他に較べる者もないほどよい味である。余はそれを食い出してから一瞬時も手を措かぬので、桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行って貪られるだけ貪った。何升食ったか自分に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 陽子の部屋に比べると、海岸に近いだけふき子の家は明るく、眩ゆい位日光が溢れた。ふき子は、縁側に椅子を持ち出し、背中を日に照らされながらリボン刺繍を始めた。陽子は持って来た本を読んだ。ぬくめられる砂から陽炎と潮の香が重く立ちのぼった。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・江戸の将軍家への進物十一色に比べるとはるかに略儀になっている。もとより江戸と駿府とに分けて進上するという初めからのしくみではなかったので、急に抜差しをしてととのえたものであろう。江戸で出した国書の別幅に十一色の目録があったが、本書とは墨色が・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・彼は自身の頑癬を持った古々しい平民の肉体と、ルイザの若々しい十八の高貴なハプスブルグの肉体とを比べることは淋しかった。彼は絶えず、前皇后ジョセフィヌが彼から圧迫を感じたと同様に、今彼はハプスブルグの娘、ルイザから圧迫されねばならなかった。こ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・それに比べると日本画には内からの革新衝動があるように見える。たといそれが、世界的潮流に乗っている洋画家の努力から見て、時代錯誤の印象を与えずにはいない程度のものであるにしても、とにかく現代人の要求を充たすに足りる新生面の開拓の努力は喜ぶべき・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫