・・・一つは雨夜の仮の宿で、毛布一枚の障壁を隔てて男女の主人公が舌戦を交える場面、もう一つは結婚式の祭壇に近づきながら肝心の花嫁の父親が花嫁に眼前の結婚解消をすすめる場面である。 婦人の観客は実にうれしそうに笑っていたようである。こういうアメ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・再び瓦斯ストーブに火をつけ、読み残した枕頭の書を取ってよみつづけると、興趣の加わるに従って、燈火は々として更にあかるくなったように思われ、柔に身を包む毛布はいよいよ暖に、そして降る雪のさらさらと音する響は静な夜を一層静にする。やがて夜も明け・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・それ故私は旅館の寝床の毛布を引捲る時にはいつも嫌悪の情に身を顫わす。ここで昨夜は誰れが何をした。どんな不潔な忌わしい奴がこの蒲団の上に寝たであろう。私は人がよく後指さして厭がる醜い傴僂や疥癬掻や、その手の真黒な事から足や身体中はさぞかし・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・余はすぐに白い毛布の中から出て服を改めた。車に乗るとき曇よりした不愉快な空を仰いで、風の吹く中へ車夫を駈けさした。路は歯の廻らないほど泥濘っているので、車夫のはあはあいう息遣が、風に攫われて行く途中で、折々余の耳を掠めた。不断なら月の差すべ・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・殊に既往一ヶ月余り、地べたの上へ黍稈を敷いて寐たり、石の上、板の上へ毛布一枚で寐たりという境涯であった者が、俄に、蒲団や藁蒲団の二、三枚も重ねた寐台の上に寐た時は、まるで極楽へ来たような心持で、これなら死んでも善いと思うた。しかし入院後一日・・・ 正岡子規 「病」
・・・ブドリはスイッチを切りました。にわかに月のあかりだけになった雲の海は、やっぱりしずかに北へ流れています。ブドリは毛布をからだに巻いてぐっすり眠りました。八 秋 その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間にもな・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・車室の窓のブラインドをあげ、毛布にくるまってのぞいていたら次第に近づく市の電燈がチラチラ綺麗に見えた。 一寝いりして目がさめかけたらまだ列車は止っている。隣の車室へ誰か町から訪ねて来て、 ――今ここじゃ朝の四時だよ、冗談じゃない!・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・「僕のと下女のとで二人前です。従卒は隊で食います。別当も自分で遣るのです。」 蚊帳は自分のと下女のと別当のと三張買った。その時も爺さんが問うた。「布団はいりませんかの。」「毛布があります。」 万事こんな風である。それでも・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・彼の肉体が毛布の中で自身の温度のために膨張する。彼の田虫は分裂する。彼の爪は痒さに従って活動する。すると、ますます活動するのは田虫であった。ナポレオンの爪は彼の強烈な意志のままに暴力を振って対抗した。しかし、田虫には意志がなかった。ナポレオ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・ハンモックと毛布を負うて無人の山奥へ平然として分け入る。阿蘇ではハンモックにぶら下がったまま凍死しようとした、妙義では頂に近き岩窟に一夜を明かした。肉体と社会を超越してのこのこと日本じゅう歩きめぐっている。旅は人を自然に近づかしめて、峨々た・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫