・・・旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎の毛皮の帽子を冠った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その飾り窓には、野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮などあり、私は遠くから見ていたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうちに、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることが出来たのだ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・相手は、私とその夜はじめてカフェで落ち合ったばかりの、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓であった。私はその男の酒を盗んだのである。それが動機であった。 私は北方の城下まちの高等学校の生徒である。遊ぶことが好きなのである。けれども金銭には割に・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテエブルも絨氈も、みんな昔のままであった。私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて泣くまい泣くまいと努力した。こっそり洋室にのがれて来て、ひ・・・ 太宰治 「故郷」
・・・狐が人をだますものでもないのに、その毛皮を保有したマダムが、わざわざ人をだます。その心理状態は、両女ほとんど同一である。前者は、実在の兎以上に、兎と化し、後者も亦、実在の狐以上に、狐に化して、そうして平気である。奇怪というべきである。女性の・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・昨年の冬は、満州の野に降りしきる風雪をこのガラス窓から眺めて、その士官はウォツカを飲んだ。毛皮の防寒服を着て、戸外に兵士が立っていた。日本兵のなすに足らざるを言って、虹のごとき気焔を吐いた。その室に、今、垂死の兵士の叫喚が響き渡る。 「・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ただこの映画に現われる多数多様のアジア人種の顔つきや表情は、注意して見ているとなかなか興味がある。毛皮市場や祭礼の群衆の中にわれわれの親兄弟や朋友のと同じ血が流れている事を感じさせられ、われわれの遠い祖先と大陸との交渉についての大きな疑問を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・黒光りのする店先の上がり框に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎の毛皮の襟のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形のガスの炎が深呼吸をしていた。じょさいのない中老店員の一人は、顧客の老軍人の秘蔵子らしいお坊っちゃんの自分の前に、当時・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・白熊は、自分の毛皮から放射する光線が遠方のカメラのレンズの中に集約されて感光フィルムの上に隠像の記録を作っていることなどは夢にも知らないで、罪のない好奇と驚異の眼をこの浮き島の上の残忍な屠殺者の群れに向けているのである。撮影が終わると待ち兼・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ その自動車から毛皮にくるまって降りて来た背の低い狸のようなレデーのあとから降りて来たのがすなわちこの際必要欠くべからざる証人社長池田君で、これがその恐怖する妻君の前で最も恐るべき証人となり得る恐れのあるところの田代のために、その友人浅・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
出典:青空文庫