・・・すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。 民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしかにこれを引請けざ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとするの議論は誠に貴ぶべしといえども、未だよくこの悪事の原因を求め尽したる者にあらざるが如し。そもそも一国の政府にもせよ、また会・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・然るに、この良民が家にありて一部の経世書を読むか、または外に出でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激奇抜の民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなすべきや。聾盲とみに耳目を開き・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ 明治はじめの自由民権が叫ばれて、婦人がどしどし男子と等しい教育をうけ、政治演説もし、男女平等をあたり前のことと考えた頃、日本では、木村曙「婦女の鑑」、若松賤子「忘れ形見」などの作品が現れた。若い婦人としてよりよい社会を希望するこころも・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
・・・或人は熱心に、新しい日本の黎明を真に自由な、民権の伸張された姿に発展させようと腐心し、封建的な藩閥官僚政府に向って、常に思想の一牙城たろうとした。 元来、新聞発行そのものが、民意反映の機関として、またその民意を進歩の方向に導くための理想・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・オーストラリアは一八九二年婦人の公民権が認められた。第一次欧州大戦の終結した一九一八年、イギリスは人民代表法で婦人の参政権を認め、小さいけれども文化的に水準の高いノルウェイは、それより早い一九一三年に完全な婦人参政権を実現した。ソヴェト同盟・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・悲しい火花のような自由民権思想の短い閃きをもったまま、それが空から消されたあとは、半封建のうすくらがりの低迷のうちに、自我を模索し、この自然と社会との見かたに科学のよりどころを発見しようとしてきた。われらの故国のおくれた資本主義経済の事情は・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 周知の如く近代国家としての日本は独特な発展の過程をとり所謂開化期の文化の自由民権的傾向というものは明治二十三年国会が開かれると同時に一種の反動期に入り、今日とはその質を異にするが、官僚「官員さん」の横行時代を現出した。日清、日露の両戦・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・明治二十三年に日本では、それまでの自由民権運動を禁圧して、専制権力の絶対性を擁護した。この年に世界の国際メーデーがはじまっている。私たちはこんなにヨーロッパ、アメリカとはずれた歴史の本質の上に今日の歴史をうけついでいるのである。一葉の「たけ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
私たち日本の女性は、これまでの歴史の中で、はたしてどんな政治的な経験と呼ばれるものをうけついで来ているのだろうか。 自由民権時代に、岸田俊子その他の若い女性が活躍したことは周知のとおりだし、大正末期から昭和六七年頃まで・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
出典:青空文庫