・・・今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族にユダヤ人種の血が流れているという事は注目すべき事である。後年・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・諸君、我らは決して不公平ではならぬ。当局者の苦心はもとより察せねばならぬ。地位は人を縛り、歳月は人を老いしむるものである。廟堂の諸君も昔は若かった、書生であった、今は老成人である。残念ながら御ふるい。切棄てても思想はきょうきょうたり。白日の・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・蝮蛇は之を路傍に見出した時土塊でも木片でも人が之を投げつければ即時にくるくると捲いて決して其所を動かない。そうして扁平な頭をぶるぶると擡げるのみで追うて人を噛むことはない。太十も甞て人を打擲したことがなかった。彼はすぐ怒るだけに又すぐに解け・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼はむしろ懸崖の中途が陥落して草原の上に伏しかかったような容貌であった。細君は上出来の辣韮のように見受けらるる。今余の案内をしている婆さんはあんぱんのごとく丸るい。余が婆さんの顔を見てなるほど丸いなと・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点と新なる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。 二 哲学の問題は自・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・を直覚させるであらうところの装幀――に関して、多少の行き届いた良心と智慧とをもつてゐる文学者たちは、決していつも冷淡であることができないだらう。 けれどもこの注文は、実際に於て満足されない事情がある。なぜかならば我等の芸術を装幀するもの・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・ これ等の事は、設計の掘鑿通り以外に、決して会社が金を出しはしない、と云う事に起因していた。何故かなら会社で必要なのは、一分一厘違わず、スポッとその中へ発電所が嵌りさえすればいいのだったから。 川下の方の捲上げ道を登れば、そのまま彼・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・お前さんが善さんと今のようにおなりのも、決して悪いとは思ッていなかッたんだが、今日という今日、薄情なことを知ッたから、もうお前さんとは口も利かないよ。さア、早く帰ッておくれ。本統に呆れた人だよ」 吉里は悄然として立ち上ッた。「きッと・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・西洋諸国の貴女紳士が共に談じ共に笑い、同所に浴こそせざれ同席同食、物を授受するに手より手にするのみか、其手を握るを以て礼とするが如き、男女別なし、無礼の野民と言う可きなれども、扨その内実を窺えば此野民決して野ならず、品行清潔にして堅固なるこ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫