・・・どちらへ出るかはその日その日の気持が決めた。 しかし、いま私の話は静かな山径の方をえらばなければならない。 吊橋を渡ったところから径は杉林のなかへ入ってゆく。杉の梢が日を遮り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のな・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・慮ない仲なれど、軍夫を思い立ちてより何事も心に染まず、十七日の晩お絹に話しそこねて後はわれ知らずこの女に気が置かれ相談できず、独りで二日三日商売もやめて考えた末、いよいよ明日の朝早く広島へ向けて立つに決めはしたものの餅屋の者にまるっきり黙っ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・これは直観主義でも決められない。 リップスによれば、この際主観的制約を去って、客観的事実の制約にしたがい、すなわち、受験は自分のであり、火災は他人のであるということを離れ、どちらも自分のことであるとして考えて決めよというのだ。それなら火・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・農民の生活を知っている。極めて農民的な自然な姿において表現する。が、あれだけ農民、農村を知りながら、かくまで農民が非人間的な生活に突き落され、さまざまな悲劇喜劇が展開する、そのよってくる真の根拠がどこにあるかを突きつめて究明し、摘発すること・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・をやりました。 吉は全敗に終らせたくない意地から、舟を今日までかかったことのない場処へ持って行って、「かし」を決めるのに慎重な態度を取りながら、やがて、 「旦那、竿は一本にして、みよしの真正面へ巧く振込んで下さい」と申しました。これ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・俺も手紙を書きに行ったときは、必ず何か落書してくることに決めていた。 成る程、俺は独房にいる。然し、決して「独り」ではないんだ。 せき、くさめ、屁 屁の音で隣りの独房にいる同志の健在なことを知る――三・一五の同志・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・福よしからお名ざしなればと口をかけさせオヤと言わせる座敷の数も三日と続けばお夏はサルもの捨てた客でもあるまいと湯漬けかッこむよりも早い札附き、男ひとりが女の道でござりまするか、もちろん、それでわたしも決めました、決めたとは誰を、誰でもない山・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それに極めねば収まりがつかない。むりでもそれに違いない、と権柄ずくで自説を貫いて、こそこそと山を下りはじめる。 下りる途中に、先に投げた貝殻が道へぽつぽつ落ちている。綺麗な貝殻だから、未練にもまた拾って行きたくなる。あるだけは残らず拾っ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それを知り極めないと死んでしまうような心細さを覚えます。だから私はあなたに惹かれた。私には芸術がわからない。私には芸術家がわからない。何かあると思っていたの。あなたを愛していたんじゃないわ。私は今こそ芸術家というものを知りました。芸術家とい・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポンの裾を撮んで、ぬかるみを跨ごうとしているのを見附けた竜騎兵中尉は、左の手にを握っていた軍刀を高く持ち上げて、極めて熱心にその娘の足附きを見ていたが、跨いでしまったのを見届けて、長い脚を大股に踏んで、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫