・・・そっとあけて女房に見せると、女房は冷たく、あら、勲五等じゃないの、せめて勲二等くらいでなくちゃねえ、と言い、亭主がっかり、などという何が何やらまるで半気狂いのような男が、その政治運動だの社会運動だのに没頭しているものとばかり思い込んでいたの・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ただその先生の平生の勉強ぶりから推して考えてみると、映画の享楽の影響から自然学問以外の人間的なことに興味を引かれるようになり、肝心の学問の研究に没頭するに必要な緊張状態が弛緩すると困るということを、こういう独特な言葉で言い現わしたのではない・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・いわんや衣食に窮せず、仕事に追われぬ芸術家と科学者が、それぞれの製作と研究とに没頭している時の特殊な心的状態は、その間になんらの区別をも見いだしがたいように思われる。しかしそれだけのことならば、あるいは芸術家と科学者のみに限らぬかもしれない・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・ 科学者自身が、もしもかなりな資産家であって、そうして自分で思うままの設備を具えた個人研究所を建てて、その中で純粋な自然科学的研究に没頭するという場合は、おそらく比較的に一番広い自由を享有し得るであろう。尤も、そういう場合でも、同学者の・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・昔は将棋を試みた事もあり、また筆者などと一緒に昔の本郷座で川上、高田一座の芝居を見たこともありはしたが、中年以後から、あらゆる娯楽道楽を放棄して専心ただ学問にのみ没頭した。人には無闇に本を読んでも駄目だと云ってはいたが、実によく読書し、また・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・しかしそのおかげで学者は心静かに落着いて各自の研究に没頭していられるのかもしれない。 近頃かの地でボーアに会って帰って来た友人の話によると、このまだ若い学者は、どこか近い田舎に小さな別荘のようなものを有っていて、暇のあるごとにそこへ行く・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・私は蝋燭の光の下で落着いて仕事に没頭する気にはなれないように思う。 しかし何かの場合の臨時の用にもと思ってこれも一つ買う事にはした。 肝心の石油ランプはなかなか見付からなかった。粗末なのでよければ田舎へ行けばあるだろうとおもっていた・・・ 寺田寅彦 「石油ランプ」
・・・しかし私の知れる範囲内では、蓄音機レコードの製造工場へ聘せられて専心その改良に没頭している理学士は一人もないようである。もっともこれは別に蓄音機のみに関した事ではない。当然専門の理学士によってのみ初めてできうべき器械類が、そういう人の手によ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ それだから一見閑静な田舎に住まっていては、とても一生懸命な自分の仕事に没頭しているわけにはいかない。それには都会の「人間の砂漠」の中がいちばん都合がいい。田舎では草も木も石も人間くさい呼吸をして四方から私に話しかけ私に取りすがるが、都・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 道太の食物が運ばれた時分には、おひろは店の間へ出て、独り隅の方で、トランプの数合せに没頭していた。お絹は手炙りに煙草火をいけて、白檀を燻べながら、奥の室の庭向きのところへ座蒲団を直して、「ここへ来ておあがんなさい」と言うので、道太・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫