・・・ スタアレット氏も同じ避暑地ではないが、やはり沿線のある町にいたから、汽車を共にすることは度たびあった。保吉は氏とどんな話をしたか、ほとんど記憶に残っていない。ただ一つ覚えているのは、待合室の煖炉の前に汽車を待っていた時のことである。保・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
一 彼の出した五円札が贋造紙幣だった。野戦郵便局でそのことが発見された。 ウスリイ鉄道沿線P―の村に於ける出来事である。 拳銃の這入っている革のサックを肩からはすかいに掛けて憲兵が、大地を踏みなら・・・ 黒島伝治 「穴」
一 豚 毛の黒い豚の群が、ゴミの溜った沼地を剛い鼻の先で掘りかえしていた。 浜田たちの中隊は、昂鉄道の沿線から、約一里半距った支那部落に屯していた。十一月の初めである。奉天を出発した時は、まだ、満洲の平原に青い草が見えていた・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・鉄道沿線へは多くに分れて小部隊が警戒に出かけた。栗本の中隊は、汽車に乗ってイイシの警戒に出かける命令を受けた。汽車には宵のうちから糧秣や弾薬や防寒具が積込まれた。夕闇が迫って来るのは早く、夜明けはおそかった。 栗本は、長い夜を町はずれの・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・その一つの田は、真中が敷地となって、真二ツに切られ、左右が両方とも沿線となるようになっていた。 敷地ばかりでなく、沿線一帯の地価が吊り上った。こんなうまいことはなかった。 田と畠を頼母子講の抵当に書きこみ、或は借金のかわりに差押えら・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して行く。遠方の山などは二十万分一でことごとく名前がわかり、付近の地形は五万分一と車窓を流れる透視図と見比べてかなりに正確で詳細な心像が得られる。しかしもし地形図・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・もっともこれは単なる想像であるが、しかし自分が最近に中央線の鉄道を通過した機会に信州や甲州の沿線における暴風被害を瞥見した結果気のついた一事は、停車場付近の新開町の被害が相当多い場所でも古い昔から土着と思わるる村落の被害が意外に少ないという・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・かつて私の或る知人が、シベリヤ鉄道の旅行について話したことは、あの満目荒寥たる無人の曠野を、汽車で幾日も幾日も走った後、漸く停車した沿線の一小駅が、世にも賑わしく繁華な都会に見えるということだった。私の場合の印象もまた、おそらくはそれに類し・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ ところが秋田から山形沿線の稲田のひろがりには、見ているうちに、一種こわいような気がして来るほどに先祖代々からの農民の労力がうちこめられている。無駄な一本の畦幅さえそこには見られない、きっちりとすき間もなく一望果ない田圃になっていて、盆・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・自分がトンマですりに会って、シベリア鉄道の沿線に泥棒の名所があるなんて逆宣伝して貰っちゃ困るわよ。 ――大丈夫さ! 心得ている。 暗くなってヴャトカへ着いた。ここはヴャトカ・ウェトルジェスキー経済区の中心だ。列車がプラットフォームへ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
出典:青空文庫