・・・何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御徒目付、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく刃傷の相手を探して歩いたが、どうし・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・果敢ない労力に句点をうって、鍬の先きが日の加減でぎらっぎらっと光った。津波のような音をたてて風のこもる霜枯れの防風林には烏もいなかった。荒れ果てた畑に見切りをつけて鮭の漁場にでも移って行ってしまったのだろう。 昼少しまわった頃仁右衛門の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「正寅の刻からでござりました、海嘯のように、どっと一時に吹出しましたに因って存じておりまする。」と源助の言つき、あたかも口上。何か、恐入っている体がある。「夜があけると、この砂煙。でも人間、雲霧を払った気持だ。そして、赤合羽の坊主の・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・結局は甲冑の如く床の間に飾られ、弓術の如く食後の腹ごなしに翫ばれ、烏帽子直垂の如く虫干に昔しを偲ぶ種子となる外はない。津浪の如くに押寄せる外来思想は如何なる高い防波堤をも越して日一日も休みなく古い日本の因襲の寸を削り尺を崩して新らしい文明を・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 大津波が来るとひと息に洗い去られて生命財産ともに泥水の底に埋められるにきまっている場所でも繁華な市街が発達して何十万人の集団が利権の争闘に夢中になる。いつ来るかもわからない津波の心配よりもあすの米びつの心配のほうがより現実的であるから・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数百・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 風の強さの程度は不明であるが海嘯を伴った暴風として記録に残っているものでは、貞観よりも古い天武天皇時代から宝暦四年までに十余例が挙げられている。 千年の間に二十回とか三十回といえばやはり稀有という形容詞を使っても不穏当とは云えない・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ 地震による山崩れは勿論、颱風の豪雨で誘発される山津浪についても慎重に地を相する必要がある。海嘯については猶更である。大阪では安政の地震津浪で洗われた区域に構わず新市街を建てて、昭和九年の暴風による海嘯の洗礼を受けた。東京では先頃深川の・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ 地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁にわが国のように劇甚な災禍を及ぼすことははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫