・・・機械文化の頂点を示すべき映画の中で、一人の職工は有り余っているべき動力の洪水の中にいながら、最も原始的なその筋肉エネルギーを極度に消費して大きなダイアルの針を回し、そうして、疲れ切って倒れ、そのために大破壊が起こったりする。あの魯鈍な機械に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 六国史などを読んで、奈良朝の昔にシナ文化の洪水が当時の都人士の生活を浸したころの状態をいろいろに想像してみると、おそらく今の東京とかなり共通な現象を呈していたのではないかと思われることがしばしばある。惜しいことにそのころの写真が残って・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 実際また彼女の若い時分、身分のいい、士たちが、禄を金にかえてもらった時分には、黄金の洪水がこの廓にも流れこんで、その近くにある山のうえに、すばらしい劇場が立ったり、麓にお茶屋ができたりして、絃歌の声が絶えなかった。道太は少年のころ、町・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・弘化三年七月洪水のために桜樹の害せられたものが多かったので、須崎村の植木師宇田川総兵衛なる者が独力で百五十株ほどを長命寺の堤上に植つけた。それから安政元年に至って更に二百株を補植した。ここにおいて隅田堤の桜花は始て木母寺の辺より三囲堤に至る・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ と叫びながら、可憫そうな支那兵が逃げ腰になったところで、味方の日本兵が洪水のように侵入して来た。「支那ペケ、それ、逃げろ、逃げろ、よろしい。」 こうして平壌は占領され、原田重吉は金鵄勲章をもらったのである。下 ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・僕はもう今すぐでもお雷さんにつぶされて、または噴火を足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒されて、またはノアの洪水をひっかぶって、死んでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情してくださらないんですか」「あら、・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・その川はふだんは水もすきとおり、淵には雲や樹の影もうつるのでしたが、一ぺん洪水になると、幅十町もある楊の生えた広い河原が、恐ろしく咆える水で、いっぱいになってしまったのです。けれども水が退きますと、もとのきれいな、白い河原があらわれました。・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・経済上、精神上の闇が洪水のように、最もよわいこの社会層をつきくずしている。戦争中、非人間的な抑圧に呻いていた気分の反動で、すべての人間としての欲望をのばしたい衝動がある。その半面、経済的な社会生活の現実では、その激しい衝動を順調にみたしてゆ・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・そして、息をのむ大洪水の瞬下に此あわれに 早老な女の心を溺れ死なせ。波頭に 白く まろく、また果かなく少女時代の夢のように泡立つ泡沫は新たに甦る私の前歯とはならないか。打ちよせ 打ち返し轟く永遠の動きは鈍痲し易い・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・もまもなくヨーロッパ文明の洪水に浸された。そうして平和な美しさは洗い去られてしまった。 このような体験を持った人々は決して少なくない。スピークやグラント、リヴィングストーン、カメロン、スタンリー、シュワインフルト、ユンケル、デ・ブラッザ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫