・・・真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり しかし星も我我のように流転を閲すると云うことは――兎に角退屈でないことはあるまい。 鼻 クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、世界の歴史はその為に一変してい・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ママ、ごよごよは出たり引いたり、ぐれたり、飲んだり、八方流転の、そして、その頃はまた落込みようが深くって、しばらく行方が知れなかった。ほども遠い、……奥沢の九品仏へ、廓の講中がおまいりをしたのが、あの辺の露店の、ぼろ市で、着たのはくたびれた・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・後に再び川越に転封され、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸が、草に倒れているのである。 心ばかりの手向をしよう。 不了簡な、凡杯も、ここで、本名の銑吉となると、妙に心が更まる。煤の面も洗おうし、土地・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・なんとなく、宇宙に存在するいっさいのものが、運命に支配され、流転することを語るごとくに感じたのです。 あくる日のこと、すぐ近くで、人間の声がしました。さるのごとく、岩角を伝わって、綱を頼りに下りてくる男を見ました。腰には、岩を砕き、根を・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・それはその対象が常に流転し変化するからである。たとえば自然の風物に対しても、そこには日毎に、というよりも時毎に微妙な変化、推移が行われるし、周囲の出来事を眺めても、ともすればその真意を掴み得ないうちにそれがぐん/\経過するからである。しかし・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・四年前――昭和六年八月十日の夜、中之島公園の川岸に佇んで死を決していた長藤十吉君を救って更生への道を教えたまま飄然として姿を消していた秋山八郎君は、その後転々として流転の生活を送った末、病苦と失業苦にうらぶれた身を横たえたのが東成区北生野町・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・で殺して逃亡し、品川の旅館で逮捕されるまでの陳述は、まるで物悲しい流転の絵巻であった。もののあわれの文学であった。石田と二人で情痴の限りを尽した待合での数日を述べている条りは必要以上に微に入り細をうがち、まるで露出狂かと思われるくらいであっ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 十日前のこと、自分は縁先に出て月を眺め、朧ろに霞んで湖水のような海を見おろしながら、お露の酌で飲んでいると、ふと死んだ妻子のこと、東京の母や妹のことを思いだし、又この身の流転を思うて、我知らず涙を落すと、お露は見ていたが、その鈴のよう・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・恋の曲、懐旧の情、流転の哀しみ、うたてやその底に永久の恨みをこめているではないか。 月は西に落ち、盲人は去った。翌日は彼の姿を鎌倉に見ざりし。 国木田独歩 「女難」
・・・いつかの昔の焼岳の噴火の産物がここまで流転して来たものと思われた。一時止んでいた小雨がまた思い出したようにこぼれて来て口にくわえた巻煙草を濡らした。 最後の隧道を抜けていよいよ上高地の関門をくぐったとき一番に自分の眼に映じた美しい見もの・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫